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国家の生き残り(サバイバル)を意識する時代

出典:Pixabay CC0 Public Domain

世界全体が妙に騒がしくなってきた。そんな中にあって、エネルギーと安全保障の問題がにわかに注目を浴びている。この二つがとりわけ重要な理由は、国家の生存に直結しているからに他ならない。

近代以前、国家はエネルギーをバイオマス(生物資源)、もっともはっきりいえば森林に依存していた。ゆえに過剰伐採や気候変動によって森林資源が枯渇した国家は、衰退や滅亡に追い込まれた。外敵に侵略されて地上から消滅した国家に至っては枚挙にいとまがない。「国家は滅んだが、人間は生き残った」ならまだしも、カルタゴやホラズムの都市国家のように民族まるごとジェノサイドされた例もある。このように、エネルギー・安全保障問題の舵取りを間違えると、国家の滅亡すらありえるのが、歴史の教えるところである。

人間の集団がいて、テリトリーを持ち、農業などの第一次産業に従事していれば、とりあえず国家は“成立”する。しかし、国家を“持続”させるためには、エネルギーが安定的に社会に供給され、常にテリトリーが外敵から守られていなければならない。この二点は生存のための基本的条件であり、その構造は現代でもまったく変わっていない。

日本は今、エネルギーを自給できないし、安全保障を自力で達成できない。つまり、「生存のための基本的条件」を他者に依存している状態にある。この二点で自立できない限り、外交は常に制約を受ける。逆に言えば、ロシアのような経済二流国が大きな顔をできるのも、その点で自立しているからに他ならない。残念ながら日本は、自立どころか、逆に状況が悪化している。この現実を直視せずして、いかなる国家戦略も成り立たない。

国境の敷居の低い今の時代にそんな大げさな、と一笑に付す人もいよう。各国がこれだけ貿易を通して結びつき、人とモノが行き交い、情報が瞬時に伝達する時代だ。「安全が脅かされる事態などありえないし、仮に他者を脅かす国家が現れても、国際社会から孤立し、経済制裁などを受けて自損するだけだ」と、楽観する人もいるかもしれない。

たしかに、そういう傾向が強まっているのは事実だと思う。私も常々、国際間の揉め事がルールと話し合いだけで解決できれば、どれほど素晴らしいことかと思っている。民族や国籍が違うという理由で互いに憎みあい、戦争することほど愚かな行為はない。だが、依然として現実は以下のような状態であり、それゆえ楽観は許されないのではないか。

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1・国際社会は基本的にアナーキーである

未だに国家主権を超える権力はない。ゆえに原則上、誰もその国の内政に干渉することも、意志決定を強制的に曲げることもできない。つまり、国際社会は紳士協定で成り立っている「警察のいない街」に等しい。一部の日本人の“国連幻想”とは違い、「国際の平和と安全の維持について主たる責任をもつ」とされる安保理も、パーマネントメンバーの固定制と「拒否権veto power」などの特権のために、ほとんど機能不全に陥っている。

だいたい当事者たる米中露が、戦後最悪の侵略国にして武器輸出国であるため、今では中国人を除いて誰も国連の“道徳的正当性”なるものを信じていない。大国による侵略行為を放置したばかりか、その大国を除名すらしなかったという点で、国際連盟よりも後退した感がある。よって、内外に対する国家の不良行為に対しては、今のところ経済制裁か、アメリカの国益に沿った軍事制裁くらいしかない。しかも、そのアメリカが先頭に立って不良行為をしでかすので、結局、国際社会は力のあるものが支配する昔と変わりない。

2・未来は常に「ネバー・セイ・ネバー」である

今では動画サイトなどで、戦前のベルリンや東京の様子を撮影したフィルムを見ることができる。そこには、コンクリートのビルが立ち並び、路面電車や地下鉄などで人々が忙しく行き交い、自動車が道路で群れを成すといった、今日とほとんど変わらない光景が展開されている。そういった平和で近代的な暮らしをしていた人々がかくも残酷な戦争に走るとは、とうてい信じられないが、現実に起こった。第一次・第二次大戦の両方とも、あのような巨大な戦争に発展し、莫大な犠牲が出ることを事前に予想した人は少なかった。

つまり、「何が起こるか分からないのが未来」である。逆にいえば、どんな悲惨な事態が起きても不思議ではない。よって、一寸先は闇であり、最悪の事態を想定して備えておくべきである。自国が甚大な被害にあってから後悔するのでは遅い。不確実な未来にあって唯一断言できることは、「絶対ない」ということは絶対にない、ということだけである。

3・安全保障を失えばすべてを失う

いかなる経済的繁栄も、国民の幸福も、しょせんは安全保障というフレーム内で成立するものでしかない。これに関してはよい例がある。チベットがなにゆえ“自治区”であり、他方で台湾が事実上の独立を保ってきたのか。その理由は、独立チベット時代の軍事力が極めて貧弱であり、台湾のそれが強力であったからだ。それが両者の命運を別けた。その結果として、侵略を受けたチベットは属領に貶められ、この半世紀間、苦難に喘いできた。「安全保障を失えばすべてを失う」という、よい例である。ゆえに国際社会では、安全保障の課題はもっとも優先すべき「ハイポリティクス」に位置づけられる。

日本は今、現実に安全を脅かされている。未だに民族自決権を認めないその19世紀的な帝国は、日本の各都市に核ミサイルの照準を合わせている。われわれは戦争を望んでいないが、中国政府は日本人に対する憎悪・偏見・敵意を人民に植え付けている。いたずらに対立や戦争を煽るものではないが、このようなシビアな現実を踏まえない日中関係論は、すべて欺瞞の誹りを免れない。

結局、われわれの生存を保障するものは何もない

以上の1~3を見る限り、国際社会というのは、結局は弱肉強食の野生の動物界とそう違わないことが分かる。数十億年の生命史からすれば、人とチンパンジーが枝分かれしたのがついこの前だから、これは何ら不思議なことではない。そういえば、チンパンジーの群れは、ボスの権力が衰えると、ナンバー2や3が挑戦を始めるため、内戦のような騒々しい状態に陥るという。新たなボスが決まると、群れは再び安定するらしい。第一次・第二次大戦を一言でまとめるなら、「誰がボスかを決めるための戦い」であることを思えば、人類は同じことを地球規模でやっているだけなのかもしれない。そして今また、アメリカというボスに“ナンバー2”が挑戦しようとしている時期なのかもしれない。

本当は、地球に生きるすべての人々が互いを家族同胞と認識し、尊敬し、助け合い、軍備を全廃し、浮いた資金と人材を建設と発展とに投入することができれば、人類はたちまち諸問題を解決し、貧困を一掃し、黄金時代を築き上げることができるはずだ。だが、残念ながら、地球人類がそのレベルに到達するまでには、まだまだ時間が掛かりそうだ。

以上、現実には、日本は生存のための基本的条件を他者に依存せざるをえず、国際社会は未だに何が起きるか分からない無法状態に近い。しかも、脅かすつもりはないが、そもそも大量のエネルギーと資源を食い潰すことで成り立っている今の“豊かな”物質文明がこれからも持続するのか、大いに疑問だ。そういった現実や将来の予測も踏まえた上で、わが身の安全をどう確保するか、暮らしや経済をどう守っていくかが課題である。結局のところ、頼れるのは自分(自国)だけである。 

「お互いに仲良くしよう」では何の解決策にもならない

現実に、中国は日本の安全保障上の最大の脅威であり、仮想敵国である。ところで、安全保障の問題になると必ず現れるのが、「日中両国はお互いに仲良くしなければ」とか「アジア人同士で戦うべきではない」などと無意味な“提案”をする者である。政治家や評論家がこういう言葉遊びをするのは、極めて日本的な現象ではないか。当人は加熱する集団から一歩身を引いて事態を冷静に掌握していると自惚れているのだが、実際には「誰もが前提としてすでに織り込んでいること」をわざわざ公言して悦に入っているにすぎない。

まさに「そのためにどうしたらよいか」が問われているのだ。目的と手段の、完全な履き違えである。具体的な戦略や対策が伴わないなら、単なる自己満足にすぎない。

実際、この種の人物に限って、肝心の対策を尋ねられると、「お互いにもっとよく話し合うべきだ」程度の、分かり切ったことしか答えられない。そもそも、日中友好のための民間交流や対話促進に反対する人間などいない。ただ、それでわれわれの安全が保障されれば、誰も苦労はしない。

たとえば、「お互いに仲良くしよう」案が、「こちらが望んでいないのに相手のほうから攻撃してきた場合はどうするのか?」という問題に対する解決策になるのか。中国が圧倒的な核戦力を背景に「奴隷になるか、さもなくば死か?」という選択を強要してきたら、どうするのか。

「そんなことがあるはずがない」と言った時点で、その人間は安全保障問題を論じる資格を失う。事実、チベット人とウイグル人は、そのような非情な選択を本当に強いられた。中国海軍はすでに何度も領海侵犯をしている。他国の軍隊が勝手に日本領内に侵入してくる事態が、今や目の前で起こっているのだ。

もしかして、中国人民解放軍の総参謀部は、「アメリカは他国の防衛のために自国民を犠牲にしたりしないから、移動式のICBM『東風41』で脅せばMADが成立し、最終的に日本や台湾を見捨てる」と分析しているかもしれない。そしてその分析は正しいかもしれない。

つまり、日米安保すらも日本人の幻想かもしれない。「ではどうしたらよいか!?」と問われれば、それを考えることだ、としか答えようがない。なにしろ、唯一断言できることは、「絶対ない」ということは絶対にない、ということだけなのだから。

本物の危機の時代にあっては、状況分析を怠り、希望的観測に寄りかかることは有害でしかない。戦争を回避するためにはどうしたらよいのか、己の身を守るためにはどうしたらよいのか、望まなくても戦争になった場合はどうやったら勝てるのか? 安全保障問題については、そういった「具体的な提案」や「実効性のある対策」だけが重要だ。幸い、日本は知性という資源には困らない国である。今回のピンチを切り抜けるに際して、下手な専門家よりも、むしろ普通の人々による集合知が大きな役割を果たすに違いない。

むろん、そう言う私自身も、エネルギーと安全保障の問題に関しては、曖昧で抽象的な提案ではなしに、はっきりとした解決策をこれから提示していきたいと思っている。

(*なんか偉そうな文章になって申し訳ない)

2012年10月09日「アゴラ」掲載

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