杉田水脈を全力非難しながら菅直人をスルーする者たちの“正義”の不思議

事件・時事
出典:https://www.youtube.com/watch?v=rpw6dbA9jqY




みなさん、こんにちわ。

あの“民進党を滅ぼした男”八幡和郎氏がまた鋭い指摘をされていた。

今話題になっている水道民営化ですか、なんとそれを「最初に認めたのは民主党政権下で蓮舫が担当大臣だった」という。

以下引用させていただきます(*赤字は筆者による)。

水道民営化は蓮舫大臣が提案実現というブーメラン

(中略)平成23年(2011年)の民主党政権時代に、蓮舫大臣のもとで、PFI法案の改正により、コンセッション方式が導入され、①水道資産を地方公共団体が所有し、②地方公共団体と民間事業者の契約により、③民間事業者が水道事業の運営権を獲得する制度が導入された。(略)

したがって、民主党政権下で、市町村全体の水道事業を給水責任も含めて民営化することは、問題ないということで議論は終わっているのであり、今回の水道法改正で民営化に伴う問題一般について議論を蒸し返す必要はないはずだ。

というわけで、担当大臣だった蓮舫氏および民主党の後継の一つである立憲民主党が反対論を展開することはおかしいではないか、という主張である。

私も同意である。少なくも、今反対するなら、まず過去の自分たちが間違っていたことを認めた上でなければ筋が通らない。

ちなみに、八幡氏ご自身は「民間事業者のノウハウや技術力が活かされる余地が大きい」として、比較的肯定派である。もともとリゾート開発などでは民間が水道事業を担っている点にも言及している。だから、別荘地は水道代が高い場所が多いんですね。

というわけで、再び“蓮舫ブーメラン”であった。



杉田水脈は全身全霊で裁くが、「お仲間」は同じ“罪”でも裁かない異様

ついでだが、以下も八幡和郎氏の記事で知ったネタである。

自民党の杉田水脈(みお)議員による月刊「新潮45」の記事が物議をかもしたことは記憶に新しい。彼女は記事の中で次のように記した。

「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」

この表現が社会全体を巻き込んだ論争を引き起こすことになった。

NHKやワイドショーなどの大手メディアが批判的に取り上げたことや、彼女が安倍総理に近かったこともあり、とくに左派筋からの非難は苛烈を極めたと言ってよい。

ちなみに、私個人は当の杉田記事を読んでいない。

騒動を知って、はじめに思ったのは「LGBTって何だ?」である。それまで一度も聞いたことがない。すわ、新手の乳酸菌かと思ったら、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、の英語の頭文字からとったものだという。

彼女の使った表現に対しては「よくないな」と私も思った。

ただし、全人格を否定するほどのことでもない。よって、杉田議員の人格を徹底的に否定してみせる者たち、及び彼らが寄りかかる「正義」のほうにも疑問を持った。

「正義」を掲げて他人を裁くのが「生きがい」で「三度のメシよりも好き」という彼らの精神性にもついていけないが、そもそも自分が掲げている道徳基準を遵守しているのか、という疑問があるからである。

実は、そのいい例を、八幡和郎氏が指摘していた。以下である。

立憲民主党、菅直人 元総理 「子供を産む生産性が低い」

以上、出典:https://www.youtube.com/watch?v=rpw6dbA9jqY

上は、2007年1月、民主党代表代行だった菅直人議員が愛知県知事選の応援のために名古屋入りした際の一幕である。

言ったように、これも八幡和郎氏の指摘で知った。

「子どもを産むという生産性が最も低いんですよね、みなさん」である。

対象がLGBTではなく自治体という違いはあるものの、全体として、杉田記事の例の箇所とたいした違いは感じられない。

杉田氏の全人格を否定した者たちは、同じように菅直人を攻撃しただろうか?

当時、第一次安倍政権の頃で、周知の通り、彼はマスコミや左派系から凄まじいバッシングを受けていた。就任一年後の安倍氏の辞任会見の情けなさは私も覚えている。

それはともかく、当時、安倍バッシングに熱中していた者たちは、菅直人をほとんどスルーしたのではなかったか。私の記憶では彼は杉田氏の10%も非難されていなかった。

結局、こういう社会的態度によって、「彼らも本音では自分の掲げる正義なんてどうでもよく、政争の道具でしかないのではないか」と人々は思い、信頼を失っていく。

さて、八幡和郎氏のネタに、妙に依存した記事になってしまった。

最後に、私自身にも当てはまる人間的欠陥であり、それゆえ自戒も込めた上で、「正義」を掲げて他人を裁きたがる者たちに、以下の言葉を示しておきたい。

「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる」(マタイによる福音書)

“Judge not,that you be not judged. For with the judgment you pronounce you will be judged, and the measure you give will be the measure you get.”(MATTHEH 7)

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