みなさん、こんにちわ。
少し前にこんな記事が話題になりました。
「貧困は暴力や薬物のせいだから自己責任? 日本を見よ!真面目だけど貧困だらけだ」米国メディアの記事に反響 8/7(水)
(前略)る『Bloomberg』に掲載されたオピニオン記事が、日本国内で大きな注目を集めている。タイトルは「Stop Blaming America’s Poor for Their Poverty(アメリカの貧困を自己責任にするな)」。執筆したのは、ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校の准教授のノア・スミス氏だ。
アメリカの保守派は「人々が一生懸命働き、薬物や暴力に依存しなければ貧困にはならない」と自己責任論を展開するが、スミス氏はこの意見に、日本を例に挙げ異論を唱えた。日本人は真面目であるにも関わらず「日本は貧困な人で溢れている」と訴えた。
(略)真面目な国民性の日本は貧困率が低いと保守派は考えているかもしれないが、実際は真逆であるとスミス氏。日本は国民所得の中央値の半分未満しか稼げない人の割合、つまり相対貧困率が15.7%もあると指摘。この数字はアメリカ(17.8%)より多少低いものの、カナダ(12.4%)、オーストラリア(12.1%)、ドイツ(10.4%)、と比較するとかなり高い水準だ。
(略)街を見ると一見清潔だが、貧困で苦しんでいる人が大勢存在していて、全体の約14%にあたる350万人の子供が貧困状態にあると述べた。
(略)この記事は日本国内でも大きな話題を呼んでおり、SNS上には「貧困は自己責任じゃない」「日本は一部の富裕層を除いて、貧困国に入りつつあると思い知らされた」(後略)
相対的貧困率は国家間の貧困の比較としてはどうか
まず断っておくと、日本の相対的貧困率は、私も大きな問題だと考えています。
とくに、追い詰められた母子家庭の話などは、聞くたびに胸が痛い。
そもそも、なぜ「相対的貧困」が大きな問題になるのかというと、人間社会の本質が関係していると思います。
人間というのは、みんなが貧しければ、自分が同じように貧しくても、さして苦にはならない。ところが、同じ共同体の中で、恵まれた暮らしのグループがいれば、途端に自分が貧しいことが不公平に思え、苦痛に感じられてくる。
それゆえ「相対的貧困」はその共同体において常に政治問題となるわけです。
ただ、貧困そのものを国際比較するのに適したモノサシかというと疑問がある。
たとえば、日本が今の10倍豊かになったとしても、相対的貧困率はそのままです。日本の国内基準で貧困層に分類される人々が、他の国でもそうとは限らない。
逆に、仮に全員が日収1ドルの国であれば、相対的貧困率は解消されるわけです。
やはり、収入額、栄養状態、衛生・健康状態、識字率などの一定の基準で、絶対的な貧困状況を調べるのでないと、国家間の貧困の比較としてはどうかと疑問に思います。
そういう意味でノア・スミス氏の記事は誤解を生みやすい。
日本人の「真面目さ」と「相対的貧困」を結びつけているのも、ポイントがずれている。日本人が真面目に働いているのに貧困だと言いたいなら、絶対的貧困と結び付けないとおかしく感じられる。
穿った見方をすれば、自分たちの問題から目を背けたいばかりに、日本をあげつらうという欧米の学者やジャーナリストがしばしばやるパターンのようにも思える。
というのも、アメリカの貧困問題は日本とは次元が違うように思えるからです。
下はロサンゼルスの「スキッド・ロウ」地区の動画です。
この地区だけで、日本全国のホームレス数の10倍ほどが暮らしています。
Inside Skid Row: America’s homelessness capital | AJ+
LOS ANGELES INFAMOUS SKID ROW HOOD
ここだけ見ると、まるっきり第三世界ですね。
だから、アメリカ人からしても、国内の状況から外に目を反らせようとするお馬鹿な自慰記事に思えなくもないわけで、何を言ってるんだ的な反応が少なくない。
私はこの問題の真の背景は、現代社会の抱える本質的矛盾だと思っています。
このような一群の貧困者が生まれる背景には、様々な問題が複雑に絡み合っている。
ただ、誤解を恐れずにいえば、根本にあるのは、超権力が人々から富を吸い上げているステルス奴隷システムではないかと思っている。
アメリカ人の大衆もまた“奴隷”なんです。私自身は今の社会を根底から作りかえるアイデアを持っていて、いずれ実践したいと思っていますが。
繰り返しますが、私は現状の日本の相対的貧困率の高さを肯定するものではない。
私は一定所得以下でなおかつ借家暮らしの世帯には、大胆な公共住宅政策を適用すべきだと考えています。具体的には1万円で中古の家に住めますよとか。
少子化対策にもなります。幸い国や自治体もそういう方向で動いている。
すぐに「安倍政治ガー」「格差社会をなくそう」と短絡する人がいますが、こういうのは長年の累積問題であって、単純に誰かのせいと思い込むのは間違い。
独裁政治が行われているならともかく(そう信じている人もいるようだが・笑)。
言ったように、相対的貧困がそんなに問題なら、全員が貧しくなれば一応は解決する。
社民党の福島瑞穂氏が形式的に「格差社会をなくそう」とスローガンを唱えていますが、これからは「みんなで平等に貧しくなろう」くらい言ったらどうかと思う(笑)。
むろん冗談ですが。
スポンサーリンク