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第二次朝鮮戦争の火種としてわざと引き分けた朝鮮戦争

さて、今回が私の「超常分野」研究家としての本領発揮である。

私がこれから述べることは、オリジナルの情報と思索に基づくものであり、国内や世界のどこにもない見方だと自負している。

私は一貫して「北朝鮮は最後に核兵器を使用する」と断言してきた。

なぜそう確信を持っていえるのか。なぜなら、北朝鮮に核兵器を使わせることが最初から目的の一つではないか、と前々から疑っているからだ。

つまり、この貧乏独裁国家を追い詰めて、隣国に対して核を一、二発、撃たせるつもりではないか、と言っている。いわゆる“陰謀論者”の中でも、ここまで穿ったというか、陰謀チックな見方をしているのは、今のところ私だけのようだ。

これに対して、誰もが「そんな馬鹿な!?」と反射的に思うはずだ。

もちろん、一般常識からすると、ありえない話である。

しかし、「影の政府」の者たちは、あくまで彼らの利益や目的に沿って考える。彼らは彼らの視点でものを考える。一見すると、彼らは常人には理解不能な発想をする。しかし、彼らの立場からすれば、それが合理的であり、もっともな決断なのだ。

しかも、当然ながら「影の政府=米政府」ではない。

この辺の区別は中々難しい。しかし、両者には決定的な違いもある。たとえば、トランプ政権又米政府としては、アメリカ人が犠牲になる事態には耐えられない。しかし、「影の政府」は一般のアメリカ人の命なんか、なんとも思っていない。だから、北朝鮮の核ミサイルが米軍基地を直撃し、大勢の米軍人が死んでも構わないと思っている。それどころか、そのような事態を「歓迎」すらするだろう。これが超権力者の発想である。

と言うと、益々「そんな馬鹿な!?」と人々は考える。

しかし、そのメンタリティは、昔――それこそ彼らがアメリカという国を作った時――から変わらない。彼らにとって人命はただの「数字」でしかないのだ。

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「表の歴史」からは想像もつかない朝鮮戦争の驚くべき真実

これから起きる「第二次朝鮮戦争」の本質について真に知りたければ、「第一次朝鮮戦争」のそれについて知らなければならない。むろん、南北コリアは「休戦」状態であるから、厳密には「まだ戦争は決着がついていない」ということだ。

そして、北朝鮮は2013年3月、その休戦協定の破棄を一方的に宣言した。今だいたい70万の兵力を韓国との国境(休戦ライン)付近に配置しているという。

そこへ最近の核・ミサイル危機なのだから、もう「マッチ」同然である。

とりあえず、ここでは「最初の朝鮮戦争」とか「第一次朝鮮戦争」という名称を使わせてもらうが、先述したように、「アチソンライン」が発端となった。

これは、様々な後付けの理由があるが、今もって不可解な政策だ。私は「最初から戦争を誘発する目的で設定された」という説を以下の記事で唱えた。

前回(下)の続きです。歴史には裏から見ないと解けない謎がある。この話は、とくに韓国人の皆さんに読んでほしい。そして、十分に注意してほしい。世界支配層は、朝鮮半島をまた地獄に突き落とすかもしれません。さて、アチソン・ラインAcheson Li

戦争の結果、3万人強の米兵が死亡した。朝鮮人は二百万くらい死亡した。上で言ったように、こういう結果は「米政府」や「マッカーサー司令」は決して望まなかった。しかし、「影の政府」のバーナード・バルークとその手下のトルーマンは違った。「影の政府」にとって戦争はビジネスであると同時に最高の娯楽でもあるのだ。

そして、驚くべきことだが、彼らはわざと勝たなかった。

どうやら彼らは、自分たちの利益のために、最初の朝鮮戦争を十分に活用した後か、又は活用している最中に、次のような理由から、その決定を下したらしいのだ。

「将来、自分たちの利益のために、またこの地でウォー・ゲームをやりたい。だから今回の戦争はいったん引き分けとして、対立の構造だけは残しておこう」

信じ難い話だが、トルーマン政権は勝てる戦いにわざと勝たなかったのだ。当然、現場で指揮を執っていたマッカーサーは納得がいかず、激怒した。

つまり、簡単に言うと、「影の政府」は「アチソンライン」でうまく戦争を引き起こしておいて、散々利益を得た後は、将来のためにその火種を取っておいたのだ。

だから結末が「開戦前の38度線に戻っただけ」なのは偶然でも何でもないのだ。

マッカーサーは勝てる戦いを勝たせてもらえなかった!

そのためにマッカーサーはひどい制約を課せられた。

1950年6月、北朝鮮の電撃侵攻で朝鮮戦争が始まった。当初、韓国軍は半島の南端にまで追い詰められるが、マッカーサーが仁川上陸作戦を成功させ、ソウルを奪還すると、戦局は逆転した。しかし、米韓軍が38度線を越えて北進すると、韓国による半島統一を阻止するため、中国が義勇軍と称して大部隊を派遣した。そのため米韓軍は中朝国境の鴨緑江付近まで来たところで反撃を受け、今度は一転して後退を余儀なくされた。

そして、38度線を境にして両軍が一進一退を繰り返すようになる。有名なのが、この時、マッカーサーが中国への原爆投下等をトルーマンに進言した話だ。

というのも、当時、毛沢東の新中国の国力の源泉の一つになっていたのが、旧日本帝国が満州に残していった巨大な工業施設であり、その地の石炭・鉱物資源開発施設だった。満州は同時に「抗美援朝」の軍事拠点であり、補給基地でもあった。

だから、最終的に百数十万という大軍を送り込んできた中国軍に勝つためには、それを支える後方基地を叩かねばならないのは、軍事戦略上も常識だった。

ところが、トルーマン政権は「絶対に国境を越えるな」と厳命した。「ソ連が参戦する」「世界大戦になる」というのが主な理由だが、マッカーサーも力説したように、当時のソ連にはそもそもアメリカと対抗するだけの国力・軍事力はなかった。しかも、ソ連は最初からその意志がなく、金日成から派遣を要請されても断っていた。中国軍もまた満州を後背とすることで、朝鮮を舞台にした限定戦争をするのが精一杯だった。

私は、こういった情報は、トルーマン政権はすべて承知していたと思う。

つまり、仮に原爆という最終手段をとらなくとも、マッカーサーの具申どおり満州を攻撃していれば、朝鮮の中国軍は補給が細り、一挙に不利になっていたはずだった。だが、マ元帥はその手段を封じられた上、最終的にトルーマンによって解任された。

そして、53年7月、結局は38度線で休戦が行われたのである。

何のことはない、両陣営合わせて400万もの死傷者を出し、うちアメリカ軍自身も3万強の犠牲を出し、1千万とも言われる朝鮮人の離散家族を生みながら、終わってみれば、戦争前の元の状態に戻っただけなのである。

影の政府から警戒され、最後には排除されたマッカーサー

要するに、「ソ連が参戦してくる」とか、「世界大戦になってしまう」といった理由は、マッカーサーに国境を越えて中国を攻撃させないため(つまり勝たせないため)の口実に過ぎなかった。しかも、「トルーマン大統領が主張した」ことになっているが、正確には彼もまた「言わされていた」に過ぎなかった。

マッカーサーとトルーマン大統領が戦争方針をめぐって対立した事実はよく知られていても、マ元帥が大統領を指して、影で「あのユダヤ野郎」と侮蔑していた事実はほとんど知られていない。実際にはトルーマンはユダヤ人ではなかったと思われるが、実はそう間違いでもなかった。なぜなら、彼の背後にいた者たち――前任のルーズベルトとその顧問だったバーナード・バルーク――がユダヤ系だったからだ。

別の記事で述べたが、トルーマンも、その後任のアイゼンハワーも、「影の政府」の重要人物であるバルークの手下だった。彼らは、しばしば「影の政府」に忠実でなく、アメリカ民族主義者の疑いのあるダグラス・マッカーサーを嫌っていた。

1932年、ワシントンD.C.に集まった恩給行進者(Bonus Marchers:恩給削減に反対する復員軍人を中心としたデモ隊)を弾圧した際の、陸軍参謀総長マッカーサーと部下のアイゼンハワー少佐

だから、彼が大統領になろうとすると、議員たちに手を回して、共和党大会での予備選挙で敗北するよう仕向けたのだ。だから、あれほど国民的人気があったのに、マッカーサーは予備選で歴史的な惨敗をした。むろん、大統領選を制したのは現職のトルーマンだった。

つまり、第二次大戦後、最初に「影の政府」と衝突した米要人は、ジョン・F・ケネディではなく、本当はマッカーサーだった。ケネディとの違いは、彼の場合、大統領になる前に徹底的に妨害され、引退を強いられたということだ。

半世紀ぶりに「戦争の火種」を使おうとしたブッシュ政権

さて、大戦後、軍縮の一方だったアメリカは、朝鮮戦争によって再び軍拡へと転じた。さらに共産陣営との対立が先鋭化し、冷戦が本格化した。かくして、大戦中の、非常時の体制だったはずの、いわゆる軍産複合体は、「恒常化」の理由を得たのだ。

ちなみに、軍産複合体の原型となったのが第一次大戦中に設立された戦時産業委員会War Industries Boardであり、その委員長を務めたのがバルークだった。彼こそ、ウッドロウ・ウィルソンからアイゼンハワーまで、大統領を影で動かした人物だった。

で、もともと「影の政府」の使用人だったアイゼンハワーは、トルーマン後の二期8年間、自分がずっと「彼ら」に手を貸してきたことを最後には悔いて、1961年1月、大統領を退任する際に、「あの」有名な演説を行ったのだ。

Dwight Eisenhower on The Military Industrial Complex

彼は「軍産複合体による不当な影響力の獲得を排除しなければならない」と演説して政界を去っていった。その後任のケネディ大統領の運命はご承知の通り。

いずれにしても、彼らはこうして朝鮮半島という「戦争の火種」を将来のために取っておいた。だから、いつか戦争を再開することは、この頃から決まっていた。

それが1994年の朝鮮半島危機だったのか、私にも分からない。北朝鮮は核拡散防止条約から脱退し、IAEA(国際原子力機関)の査察を拒否し、核開発を目指した。当時のクリントン政権は空爆を検討した。だが、金日成と特使カーターとの会談により、「米朝枠組み合意」なる茶番が成立し、危機は先送りされた。

どうやら、半世紀に渡って取っておいたこのカードを、ついに使うことを決定したのが、「9・11」の後のブッシュ・ネオコン政権だったようだ。

彼らは明らかに本気だった。リチャード・パールは「イラクの次は北朝鮮」と公言していた。しかし、イラクの占領統治が泥沼化し、チャンスを逸した。

こうして、「カード」は再び先送りにされた。そして、2017年が来た。

(つづく)

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