藤本健二氏を“戦後最大のスパイ”として生かせなかった日本

政治・社会
出典:Human Rights Watch




「金正日の料理人」ネタの続きです。

1994年7月、“建国の祖”金日成が死去しました。すぐに金正日が後を継ぎました。藤本健二氏はそんな人物と82年10月から顔見知りだったわけです。

しかも、金正日が最高指導者に就任した時には、専属料理人として、またレジャーのお供として、藤本氏はすでに相手のハートをがっちりと掴んでいました。



藤本健二氏、突然、日本の警察に逮捕される

それから約2年後、私からすると、奇妙と言わざるをえない事件が起こります。

それまで藤本氏はたびたび「買い付け」のために帰国していました。寿司職人として魚の仕入れはむろん、「ヨモギの入った大福」や「サントリー・インペリアル」といった、金正日の個人的要望にも応えるためです。

だが、96年9月の「買い付け」帰国に限って、警視庁の三人の刑事が空港に現れ、「入国管理法違反扶助罪」で彼を逮捕してしまいました。藤本氏の監視役の北朝鮮人がドミニカ共和国のパスポートで入国しており、それを助けたという容疑です。

藤本氏は留置場に入れられてしまいます。しかし、彼は頑として「北朝鮮へ帰る」と言い張りました。留置期限は21日間で、検察はその間に起訴しなければなりません。藤本氏が22日目になっても「北へ帰る」と答えると、「再逮捕」となり、また留置場へ送還されてしまいました。さすがに藤本氏も気づきます(以下同書より引用)。

おそらく、彼らは私を北朝鮮に帰したくないのだろう。それだけの理由で、私をこうして捕らえているのだ。だから、私が「北に帰ります」と言っている間は、決して釈放されることはない。そう、私は結論した。

こうして藤本氏は、北朝鮮へ戻らないと、警察に誓約する羽目になりました。

思ったとおりに私は即釈放となり、保護文書に署名すると、その後、四十日間を、ある湖のほとりの別荘で、刑事四、五人とともに生活することになった。

で、その期間が終わると、藤本氏は日本国内での“逃亡生活”を余儀なくされるようになりました。沖縄で職にありついたが、それでも一箇所に長く留まると危険なので、結局、あちこちを転々とせざるをえなかった。ある時は朝鮮総連の使いが店に現れて、そのまま逃亡したこともあった。刑事の護衛でなんとか東京に戻った。

藤本氏こそ“戦後最大のスパイ”になれた逸材だった

こうして、一度逮捕されたことで、藤本氏の人生が狂い始めました。

しかし、98年6月、結局、藤本氏は北朝鮮に帰ることにします。彼が謝ると、金正日は「よく帰ってきた。一緒に食事をしよう」と言ったそうです。

ただ、そうやって一度は警察に囲われ、朝鮮から逃げていた日本人です。明白な裏切りですから、このことがきっかけで二十四時間の監視がつきました。そのせいで、藤本氏もまた精神的に追い詰められていきます。

それにしても、警察の行動に何の意味があったのでしょうか。どう考えても、藤本氏を窮地に追いやった以外の意味は見い出せない。

それよりも私が疑問なのは、彼らの安全保障に対する意識というかセンスです。

北朝鮮の「奥の院」といえば、日米情報当局はおろか韓国情報部でさえもおいそれと近づけないナゾの世界でした。

そのど真ん中に、寿司職人として飛び込み、金正日とそのファミリーから絶大な信頼を勝ち得ていたのが藤本氏です。単に料理を作るだけでなく、レジャーなどのプライベートにも同行し、各地の秘密の施設にも出入りするほどの親密な関係でした。

北朝鮮の最高指導者の素顔、メンタリティ、軍幹部との関係、核兵器開発の状況や秘密の軍施設、後継者問題・・・いずれも各国情報機関が喉から手が出るほど欲しい貴重な情報です。とりわけ、北朝鮮を仮想敵国とする日本にとっては。

藤本氏はそれをふんだんに入手していた人です。その上、決して北朝鮮に閉じこもりきりという訳ではなく、食材の仕入れために日本をはじめ頻繁に海外へ出張することを許されていました。つまり、北朝鮮の監視役を欺くちょっとしたテクニックは必要ですが、やろうと思えば、その情報を国外の「誰か」に手渡す機会もありました。

明らかに藤本氏は、日本の対北情報収集の切り札として、間違いなく第一級のスパイになれた貴重な人材だったのです。

自分の身を自分で守ることを忘れてしまった戦後日本

ところが、警察がやったことといえば、「入国管理法違反扶助罪」なる微罪で彼を逮捕することでした。そして氏に「二度と北朝鮮に戻るな」と念を押させ、「保護」してしまった。彼らはそれが自分たちの仕事であり職務だと思っていたわけです。

こういう人材をスパイとして柔軟に活用できないのは、組織の硬直性とかではなく、根本的には「安全保障感覚の欠落」ではないかと思います。

警察は結構、民間人のスパイを作ったりします。ところが、いずれも内輪(国内)の話。外事もカウンターがメイン(つまり相手から来るものに対するリアクション)の職務です。しかし、国内の治安機関だから仕方がないわけではなく、北朝鮮から来る脅威にも現実に対峙しているわけだから、藤本氏のような人物を“発見”したら、「日本のために口説いて利用しよう」と発想できる幹部くらいいてもいいのではないか。

こういう絶好の機会を自ら潰した警察のメンタリティは、戦後日本の公的機関におけるインテリジェンス意識の衰退を如実に表していると言えます。

それどころか、逆に北朝鮮側に警察の情報が漏れているというオマケ付き。

藤本氏によると、「買い付け」帰国直前に、金正日が「藤本、今回は気をつけて行動しろ。警視庁の問題があるからな」と言ったという。つまり、藤本氏の逮捕に動く可能性があることを事前に知っていたわけです。明らかに内通者がいるらしい。

しかも、北朝鮮に情報が筒抜けなのは、外務省・自衛隊・公安調査庁・内閣情報調査室なども同様です。だいたい国会議員からして機密を漏らしているわけです。

また、藤本氏を確保しなかったことは、当時の公安調査庁のミスと言えなくもない。海外部門を担当する調査第二部が情報源として取り込むことを考えるべきでした。

こんなふうに、情報収集だけでなく、まともに防諜もできない。対外的な謀略・特別工作をやる体制もない。逆に、凄まじい謀略対象にされている。

根っこにあるのは、言ったように安全保障のセンスなんですね。「自分たちの国は自分たちで守るしかない」という意識があり、共通の価値観として持っていれば、通常なら日本国内の各機関が争って藤本氏を情報源として確保しようとしたでしょう。

ところが誰もそういう発想ができない。なぜなのか。

日本はずっとアメリカに安全保障を一任してきました。日本の繁栄はそのフレームの中で達成されたものです。しかも、それが「当たり前」になってしまった。

だから、アメリカにピタリとコバンザメのように張り付いていればいい、という発想しかない。ボディガードにすがっておけば安全、というわけです。

だから「自分たちの血と努力で情報を取ってくる」という発想が起きない。“インテリジェンス”という言葉が濫用されているが、本当の意味でのインテリジェンスを失ってしまったのが日本の情報機関です。

いずれにせよ、今となっては悔やまれる話です。

(付記・誤解のないように言っておきますが、私が個人的に知る限りでは、日本の警察官や警察OBたちは本当に優秀な人や努力家が多い。知性・モラル・人格など、体力以外においては、日本の警察は世界トップの人材集団だと思います。今回の記事は、むしろそれを生かしきれていない、又生かす方向性を間違えている例だといえます。)

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