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日本はポーランドに相撲を学べ

出典:FNN

近年、日本の相撲界は揺れています。

モンゴル人力士の元横綱・日馬富士関による暴行事件。自身の弟子が被害を受けた貴乃花親方の対応のまずさと、日本相撲協会・八角執行部との対立。そして理事解任処分、再起をかけた理事選での惨敗、等々、見るに耐えない閉鎖的な世界での権力闘争でした。

また、立行司によるセクハラ事件や、大砂嵐の無免許運転事件もあった。

そして、日本のみならず国際社会をも呆れさせたのが舞鶴場所での「女人禁制騒動」でした。挨拶中に倒れた市長に対して、救命処置のため土俵に上がった女性たちに対して、あろうことか「女性は土俵から降りてください」などとアナウンス。

日本の大相撲の異様さが誰の目にも明らかになった瞬間でした。こういったスキャンダルは、実際は氷山の一角で、大半は明らかになっていないだけと言われています。



“伝統”にがんじがらめになってしまった日本の相撲

相撲は神事がルーツだそうですが、それが大衆興行にまで発展していったのは、対戦競技として本来、もっと素朴で楽しいものだったからではないでしょうか。初期の興行相撲は観客が土俵のすぐ周りを取り囲んで、今でいうプロレスっぽい雰囲気だったようです。

それがいつしか「侵し難い伝統」へと祭り上げられ、親分衆による派閥政治と金、軍隊的な暴力にまみれる世界へと変質してしまった。言ってみれば、日本の大相撲は、自分たちが勝手に作り上げたしがらみに自縄自縛されている状態です。

実際にはその“伝統”は時代とともに付け足され、くるくると変わっています。たとえば、土俵内の「仕切り線」は昭和に入ってから追加。制限時間が設けられたのはNHKの大相撲ラジオ中継が始まってからといいますから、ずいぶんと臨機応変です。

本当は大半の力士も今の状況には辟易していると思います。変なしきたりに煩わされることなく、いわば競技者として、もっと純粋に勝負に専念したいはず。

今、外部から厳しい視線に晒された相撲界自身が改革へと動き始めていますが、既得権益サイドによる自己改革ほど期待できないものはない。ただし、広い意味での責任は、相撲を支えてきたファン層、もっと言えば日本人全体にあるのではないか。

だから、日本相撲協会にだけ責任を押し付けるのではなく、相撲のあるべき姿や将来像を私たち一人ひとりが考え、議論していかなければならない。

先日、そのヒントとなるVTRが公表されました。

それがFNNロンドン支局長の立石修氏による以下の取材です。

「日本より多い?!“マワシ締めちゃった”ポーランドの少女力士たち 7/30(月) 」(取材・動画編集・ナレーション:FNNロンドン支局 立石修支局長)

私はこれを見て、たいへん感心したというか、ほとんど感激した。そして、日本にとって大切なことを伝えているものだと直感しました。

この動画が短期間で消え、忘れ去られる・・・それではもったいない。

せっかくの改革のヒントです。すぐに倉庫入りになるべきではない。

ということで、FNNさん、そしてロンドン支局長の立石修さん、すいませんが、以下に借用させていただきます。

こんなに楽しいポーランドの相撲

立石記者がワルシャワ近郊で開催されるジュニア相撲の全国大会を取材。

その会場の体育館。この日の出場選手は300人だが、主催者によると半分の150人近くが女子選手。少女たちの元気が良く、歓声が響く。

「もちろん礼に始まり礼に終わるという基本姿勢は守られているのだが、会場からは、むしろカジュアルなスポーツの匂いがした。」

「ポーランドでは15年前に相撲協会が設立されて以後、競技人口は増え続けて現在は5000人。」

「そのうち女子選手は900人。日本女子相撲連盟によると日本の女子選手の登録数は約500人で、これを上回ることになる。」

ひときわ優秀な相撲チーム「サムスン」。名前は旧約聖書の故事に由来する。

(私:このマワシはスポーティな感じでいい)

大会終了。優勝チーム。

(私:まさかこれが相撲大会の優勝のメンバーだとは・・・)

「サムソン」を率いるミロスワフ・フラク監督。ポーランドの相撲界では最近女性が元気なのだと、ポーランドでの相撲人気を説明。

(私:しつこいですが、体操選手じゃなくて相撲選手です)

少女力士たちが通うコブリン村の中学校の練習場。

マワシを締める様子。男女混合。メンバーは50人中、女子が30人。

「相撲は面白いということでクラス中の女子が次々に参加することになったという。」

男子を投げ飛ばす女子。

これも練習の一環。

(私:一応「らしき」女子もいるようだ)

外から足を引っ張り、中が引っ張られないようにするという、楽しい練習。

本当に楽しそうな練習風景。

コブリン村の中学校

相撲関係の表彰

教室での彼女たち。

学校外。普段の彼女たち。

「前は恥ずかしがりやで自分に自信がもてなかった。相撲を始めて自分は変わった。いつか欧州選手権でメダルをとるような選手になりたい」

「実は彼女たちの通う学校は来年に統廃合を控えている。また進学や就職の際にはほとんどの若者がコブリン村を出ていく。私が取材した中学生の少女たちも、共に土俵で汗をかき、笑って過ごした中学時代が終わり、それぞれの道を歩みだす。それでも私は相撲で結ばれた少女たちの友情は永遠のような気がするのである。」

(取材・動画編集・ナレーション:FNNロンドン支局 立石修支局長)

相撲からSUMOへ。「国際スポーツ相撲」へと飛躍する時

いかがだったでしょうか?

チーム「サムソン」とは言いえて妙ですね。実際に旧約聖書に相撲をとる場面が出てきますが、古代イスラエルにおける神前儀式が相撲の真のルーツとする説もある。

ただ、そんなことよりも、私は純粋に相撲を楽しむ海外の青少年たちの姿に感銘を受けました。明るく、因習のカケラもない。それだけに日本の現状が際立つ。

立石記者は言う。「日本の国技『相撲』はSUMOに形を変えていたが、遠く離れたポーランドの少女たちに確実に愛されていた」と。

むしろ、彼女たちのほうが、私たちに相撲の素晴らしさを教えてくれています。

「ルールのためのルール」という言葉があります。

本来は、必要があってルールを作った。しかし、いつしかそれが忘れ去られ、状況が変わっても、ルールだけが残って、人々ががんじがらめになってしまう。

日本の大相撲は今、そんな自縄自縛の状態にある。

しかし、実際には、江戸時代から昭和まで、かなり気軽に、気分的に、そして平気で“伝統”を変えていた。つまり、今が異常なだけなんですね。

相撲の歴史を見ると、むしろ「変化し、進化し続ける」ことこそ真髄。

私は日本の相撲界はもう一回、原点に立ち返るべきだと思う。そして、おかしな因習の呪縛から自らを解き放った時、相撲の真の世界化の道も開けると確信します。

中には「国際化なんて必要ないよ」という意見もあるでしょう。ただ、ポーランドの人たちを見ても分かるように、今や相撲は日本だけのものではない。

世界中の人たちが気軽に楽しめる「スポーツ」へと昇華させるべきではないか。

実は、私は個人的に「国際スポーツ相撲」というのを考え、墨田区の地元議員をはじめとする関係者に働きかけようと思っていました。

むろん、伝統相撲はそれとして守っていく。あくまで平行してやる話です。

地元墨田区のためでもある。当然、世界選手権の決戦地は両国国技館。放映権料だけでもビッグビジネスになるぞと地元議員に少し話したことがあります(金儲けする気まんまんじゃねえか、どこが“純粋な気持ち”なんだという突っ込みを受けそうですが・笑)。

ただ、国際規格のためには、相撲の装いをかなり変える必要がある。

土俵はどうするか?

マワシやウェアはどうするか?

ルールはどうするか? 従量制にするか?

まず、あの「裸」と「ケツ出し」は駄目。絶対に駄目。どうせあれもある時期に決まったスタイルであって、決して原初からの伝統ではないはず。

女子のことも考え、レスリングのウェアでいいのではないでしょうか。

そこにマジックテープなどを使ったスポーティなマワシをつける。

マワシの真ん中あたりにアディダスのマークなんかあったら最高です。

土俵としては、国際柔道でも使われるビニール製のタタミがちょうどいい。勝負俵(円状に敷き詰められた長細い俵)も同じビニール製で赤い色を付けると分かり易い。

ただし、どこかで日本の伝統色も残しておきたいですね。行司(ぎょうじ)は近代的な審判員の服装になっても、「軍配」だけは持たせるとか。

ルールや技についても、経験者を中心に細かい調整が必要になります。

というわけで、最後は私の勝手な話になってしまいましたが、とにかく日本全国の相撲関係者たちは、ポーランドの少女たちが相撲を楽しむこのFNN立石修氏のVTRを見て、改めて相撲とは何なのか、その原点から問い直してほしいと思います。

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