残酷なシリア焦土化の背景――ISを操る米・サウジと宗派内戦を煽るシオニスト

テロ・紛争・戦争・崩壊
出典:Sputnik




シリアは2000年以降、前大統領の息子のバッシャール・アサド大統領によるバアス党の一党独裁体制が続いていた。ここに襲い掛かったのが2011年以降の「アラブの春」である。ウクライナの暴力革命に関する以下の記事で、反体制派の背後にいるのが米国務省やCIA、ジョージ・ソロスの団体であることは述べた。

2014年の「ウクライナ革命」のルーツは1640年代のイギリスにあった
本当にロシアが悪いのか? 改めてウクライナ・クリミア問題を振り返る 私は基本的に「ロシア VS 欧米・ユダヤ」間の出来事は「帝国主義間闘争」だと見なしているので、過度にロシア側に肩入れするつもりはない。しかし、仮に本質がそうだとしても、西側...

ただし、ウクライナの内紛とシリアの例は似て非なる。毛色が違うのは、反体制派のデモや暴動が発生した点は同じだが、シリアの場合、外から武装勢力がどんどん入ってきて政府軍との本物の戦闘を始めた点だ。普通の国だと、政府と国民が一致してその種の連中を侵略者と見なし、排除に乗り出す。逆にいえば、シリアはそれだけ政権の暴力と恐怖によって束ねられている国であり、不満層も少なくないという証だ。対して、ウクライナの場合も外部の傭兵が入ってきたが、少なくとも見かけは市民に擬せていた。

どうやら、シリアやリビアといった中東諸国の場合、独裁体制の強力な軍隊が容赦なく敵対者を虐殺するので、画策者は最初からデモや暴動程度で政府を転覆するつもりはなく、内戦に引きずり込んで決着をつけることを目論んでいたようだ。



シリアの内戦、そして欧米の軍事介入

ところが、外国人傭兵をどんどん投入しているにも関わらず、アサド政権は磐石。むしろ“反体制派”のほうが不利な状況になった。大きな理由の一つは、ロシアとイランがアサド政権の支援に回ったからである。同じシーア派支援のため、イスラム革命防衛隊は直接援護に回った。他方で、侵略者側には米・イスラエル・サウジアラビアなどがバックに付いているから、シリア内戦はたちまち「大国の代理戦争」と化した。

この頃、NATO軍がリビアを爆撃して、最終的にカダフィを消したように、米欧は2013年にはシリアにも軍事介入しようとした。

周知のように、その正当化のために使われたのが「アサド政権が市民に対して化学兵器を使った」という口実だった。当時、西側メディアは「独裁政権の非人道性」を人々に印象付け、「虐殺されている人々を救うためには軍事介入もやむなし」の世論を喚起しようとした。ところが、意外なほど人々が乗せられない。というのも、西側のメディア・リテラシーのある人々は、「ロシア・トゥデイ」などをネットで見るようになって、西側メディアのほうが嘘をついているのではないかと疑い始めていたからだ。

2013年9月、当時のオバマ政権は、化学兵器使用問題を口実として、アサド政権打倒の開戦を始める一歩手前までいったが、プーチン大統領が横やりを入れていったん阻止した。その代わり、急激に表舞台に出てきたのが「IS」なる連中だ。

そこで「IS」を道具として使い始めた欧米とサウジ

時系列でいえば、ちょうどこの頃、ウクライナ内戦が始まった。2014年2月にはヤヌコビッチ政権を転覆した。だが、彼らは対シリア工作でも容赦しなかった。

しばらくすると、欧米の独立系サイトでは、IS(*ダーイッシュ、ISIS、ISILなど様々な呼び名があるがとりあえず簡潔にこれで)のバックにいるのはCIA・モサド・サウジアラビアだと囁かれ始めた。プーチン氏もそれを裏付ける発言をした。

www.cbsnews.com

私は拙著『神々のアジェンダ』で次のように記した。

14年10月24日付の「リア・ノーボスチ」によると、ソチで開催された国際討論会「バルダイクラブ」の席上、プーチン大統領は要約すると次のような発言をした。

「かつて、欧米のパートナー達は(アフガン戦争で)ソ連と戦ったイスラム過激派達のスポンサーだった。そのような欧米による過激派への活動が現在のタリバンやアルカイダを誕生させた。彼らは現在、傭兵たちに資金を供給するという、同じ過ちを繰り返している。結果、中近東におけるテロの連鎖は止まないのだ」

以上のプーチン大統領の指摘には、筆者も賛同せざるをえない。仮に、本当は西側諜報機関がISの造物主だとしても、当初の思惑とは裏腹に、さらなるモンスターへと成長して、いずれは手に余る可能性が十分にある。つまり、サイクロン作戦の二の舞である。そして、コントロール不能になるどころか、最終的には強大なブローバックとなって西側諸国に跳ね返ってくる可能性すらあるのではないか。
神々の予定表 アジェンダ

2014年6月、最高指導者バグダディは「イスラム国」の樹立を宣言した。ISは欧米ジャーナリストなどを次々と処刑して、その様子を動画サイトなどで公開した。

あまりの残虐さに世界中が戦慄した。そしてこのような「悪」を許してはならないという世論や、「軍事行動もやむなし」というムードが西側諸国の間に形成されていった。

以後、米軍を中心とする有志連合は、ISの討伐などを口実として、シリア・イラク領内に対して数千回もの空爆を実施していく。つまり、結局、理由を見つけて軍事介入に成功したのだ。しかも、本当はどこの誰を攻撃しているのか、不透明だった。バグダディもモサドの工作員という説が根強い。だいたい堂々とジョン・マケインと会談している。

ワシントン(CNN) オバマ米大統領は10日夜のテレビ演説で、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国(ISIS、ISIL)」に対する空爆について「イラクだけでなくシリアでもISILに対して行動することを辞さない。米国を脅かす者に安全地帯はない」と述べ、イラクで行っている空爆をシリアに拡大する方針を表明した。(以上 CNN 2014.09.11 より)

いずれにせよ、これこそ「マッチ・ポンプ」の典型だった。金で雇った傭兵――プーチン氏もこの用語を使っている――を反政府軍であるかのように見せかけ、一方で彼らの残虐行為から市民を守ると称して、NATO軍がアサド軍もまとめて攻撃する。彼らはリビアでも似たことをやっていた。だいたい、激しい戦闘を通してシリア国土の焦土化・無人化を進めることが主目的なので、とにかく破壊ができればそれでよいのだ。

大英帝国とイスラム原理主義 Wahhabismとの古い繋がり

かつてソ連のアフガン侵攻に対抗するため、CIAがムジャヒディンを訓練し、武器や資金を支援したことがあった。サイクロン作戦である。

しかし、私も気づくのが遅れたが、改めてシリア内戦に登場するプレイヤーの関係性を調べなおしてみたところ、米英とイスラム原理主義との関係はもっとも古く、そして根本的なところで繋がっていた。そして、改めて分かったのは、実はサウジアラビアこそがイスラム原理主義国家そのものだということだった。

話は18世紀に遡る。当時、アラビアで「ワッハーブ派 Wahhabism」というイスラム教の一派が興った。要するに、これが今日の「イスラム原理主義」のはしりなのだ。そして、18世紀半ば、この宗教原理主義者と手を組んだのが、アラビア半島のほぼ真ん中に小さな王国を有していたサウード家だった。

彼らにしてみれば、このワッハーブ派の教勢の拡大が、そのまま領土の拡大に繋がる。だから両者はほとんど一体化し、サウード王国とも、ワッハーブ王国とも言われた。ちょうど、ムハンマドとイスラム帝国の関係に瓜二つだ。そして、彼らがアラビア半島を奪還すべく戦った相手がオスマン帝国だった。

さて、18世紀後半、ここに入ってきたのが、第三者のイギリスだったのである。当時の大英帝国にとって、ヘゲモニーを脅かしかねない潜在的なライバルが帝政ロシアだった。帝国の覇権を支えていたのは、本国と植民地との間に横たわる七つの海の制海権であり、とりわけ英領インドと対中貿易に大きな利権を持っていた。

当時、ロシアはアフガニスタン内へ南下し、英領インドを脅かしつつあった。また、黒海から地中海へ、さらに極東から太平洋へと海洋進出しようとしていた。そこでイギリスはロシアを封じ込めるため、二人のパートナーを選んだ。クリミア半島等をめぐってロシアと激しく対立していたオスマン帝国と、すでに露寇事件や対馬占領事件などでロシアの脅威を認識していた日本である。だからトルコと日本の近代化を支援した。

実は、オスマン帝国に関しては、もう少し事情が複雑だった。当時のオスマン帝国は、北はロシア帝国、南はワッハーブ王国と対峙していた。だから、両者が連携してオスマン帝国を挟撃したら、非常に不利だ。そして、当時のイギリスにとって、それはロシアの帝国拡大・海洋進出へと繋がる厄介な話だった。だから、この頃(日本でいえばちょうど幕末)から英MI6はアラビア半島に入ってイスラム原理主義者と接触し、「アラビアのロレンス」に代表されるように、ある種のコントロールを施し始めたのだ。

単純にいえば、イギリスは日露戦争でロシア海軍が壊滅するまではワッハーブ派を抑える立場だった。ところが、その後、ドイツ帝国が主敵になると、今度はコロリと「親ロシア・反オスマン政策」へと転換した。逆にいえばワッハーブ派とは接近した。

第一次大戦後、オスマン帝国は崩壊。ワッハーブ派サウード家は、1925年までには、同じくイギリスの支援を受けてアラビア半島の紅海沿岸地域を押さえていたハーシム家のヒジャーズ王国を滅ぼして、アラビア半島をほぼ統一した。

その後に、実は「石油利権」も絡んでくるのだが、この話は次回に譲る。

サウジもイランも結局は利用されている! 真の勝者は宗教戦争を扇動する天才のシオニストだ!

いずれにしても、欧米はこの頃からイスラム原理主義者と関係を持っていた。そして、サウジアラビアはイスラム原理主義国家そのものだったのである。だから、ビン・ラディンはある意味、ごく普通のサウジ人としての思想の持ち主だったのだ。

さて、再び話を現代に戻す。

言ったように、シリア内戦の隠された目的は、真シオニストによる「大イスラエル」の実現であるというのが私の推測だ。その“第二の建国”のために、内戦を通した焦土化を進め、レヴァント地域の「アラブ人減らし」をやっているのである。

アレッポの惨状

大量の難民

シオニストたちは、パレスチナのアラブ人を追い出す時には自らテロリストに扮したが、今回はうまく欧米とサウジアラビアを使っているというわけだ。

もちろん、彼らには彼らの動機があり、決して一方的にユダヤに操られているわけではない。だから「共闘関係にある」といったほうがいいかもしれない。

欧米の石油利権は次回に触れるとして、ここで取り上げておきたいのはサウジとイランの宗派対立のことだ。イスラム教はムハンマドの死後からスンニ派・シーア派の対立が生じているが、現在、スンニ派の盟主がサウジで、シーア派の盟主がイラン。

その対立を煽り、うまく利用しているのがイスラエルである。ちょうど16世紀以降、彼らは欧州における新教と旧教の戦争を煽って、漁夫の利を得た。というか、もともとスイスのバーゼルでプロテスタント教理を作ったカルヴァンのスポンサーこそユダヤだったのではないかと私は睨んでいるが、これはここで触れる話題ではない。

ともあれ、昔から宗教戦争を煽ることにかけては天才なのがユダヤだ。むろん、欧州では彼らの生存戦略上、そうせざるをえなかったという情状酌量の余地はある。

彼らの才能は現代でも遺憾なく発揮されている。彼らはシリアを「スンニ派とシーア派の内戦」の場にうまく仕立て上げた。それに乗っかっているのがサウジということは、反政府軍やISの正体はワッハーブ派などのスンニ派の原理主義者がメインであり、あとは感化された、ないしは雇われた傭兵ということだ。そして、武器やトヨタのランドクルーザーを影で引き渡しているのがCIAという図式。

と同時に、その内戦の舞台をシリアに設定することで「アラブ人減らし」も実現するという一石二鳥の策略というわけだ。本当に利益を得ているのは、イスラム教内の宗派内戦にサウジとイランを引きずり込んで、両国を共に疲弊させ、かつ将来の「大イスラエル」実現に向けて着実に地歩を固めているシオニストである。

次回はトランプ政権に絡んだ恐ろしい陰謀が進行中であることを記したい。

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