みなさん、こんにちわ。
先日、中国外務省の副報道局長が、定例記者会見において、
「中国の(事件後の)発展は、政府が当時取った行動が完全に正しいことを証明している」などと、学生・労働者に対する武力弾圧を正当化したようだ。
評論家の八幡和郎氏も似たようなことを言っていた。
これに対して、私はやはり国家の根本原理から正すべきだったと考える。
経済発展の開始は少しくらい遅れても構わなかったのではないだろうか。中国には元々発展のポテンシャルがあった。だからあの時点で慌てる必要はなかった。
むしろ、民主主義・法治・人権遵守をじっくり育てたほうが、かえって発展したはず。
6月7日の読売新聞に、とてもいい記事があった。
真実を報道したがために粛清されたが、今なお抵抗を続けるジャーナリストの話だ。
著作権的に良くないのは承知。しかし、何事も公のためが優先される。
上で青年日報の元記者が「(報道の自由が)実現していたら、違う中国が存在していたはずだ」と語っている。この「違う中国」という言葉が私の心に突き刺さる。
かえすがえすも残念だが、仮に中国が民主主義・法治・人権遵守に基づく「まともな国」に変化すれば、日中の間にもはや争う根源的理由はなくなるだろう。
それは困難で、道のりは長いが、決して不可能ではない。
私たちのほうが何も中国のレベルに合わせる必要はない。中国が日本のレベルに上がってくればいいのだ。変わらなければならないのは中国のほうなのだ。
日本国内で中国の独裁政治に手を貸してきたのは誰か?
そこを勘違いしているのが、国内のナイーブな日中友好主義者である。
天安門事件はグロテスクな共産党独裁政治を終わらせるキッカケになってもおかしくなかった。あろうことか「日中友好に尽くすリベラル派」という顔で、その独裁政治を支え、抑圧下の市民を黙殺してきたのが、野中広務や河野洋平であり、鳩山由紀夫といった連中なのだ。むしろ「価値観外交」を掲げて、中国の逸脱をけん制し、民主主義や法治の遵守を訴えてきたのが第一次政権時代からの安倍さんだったのは興味深い。
何度も触れているが、80年代前半の「胡耀邦・中曽根時代」は国交正常化以来、日中友好の絶頂期だった。日本の支援がまた改革派の胡耀邦の対内的な政治力を支えていた。
ところが、中国の長老には、そんな胡耀邦を苦々しく思うというか、学生・市民から慕われて大活躍していることに対して、異常な嫉妬と憎悪を抱く者もいた。
彼らは胡耀邦を非難して追い落とせる政治的な材料を探していた。
それを提供したのが朝日新聞と当時社会党の田邊誠だったのである。
朝日新聞は口先では日中友好を唱えるが、現実のところ、それを潰す役割を担ってきた。私がKGBの極東工作だと睨んでいることは説明した通り。だから、真に日中友好を実現するためには、まず朝日新聞社を潰すところから始めたほうがよさそうだ。
いずれにせよ、民主化を進めようとした胡耀邦は揚げ足を取られ、失脚した。
その後を継いだのが趙紫陽。しかし、彼もまた鄧小平から忠実でないと見なされ、天安門事件で学生市民側と妥協しようとしたために失脚させられた。
その後、天安門での虐殺行為を命令した鄧小平は、この事件に対する姿勢を、共産党幹部の「踏み絵」とした。換言すれば、「人民は殺せない」とする者は、文官武官とわず片っ端から粛清された。残ったのは「党のためなら人民を殺せる冷酷な幹部」だけだ。
現在の習近平政権もしょせんはその延長線上のものだ。
前の胡錦濤は、先輩の胡耀邦批判を断固拒んだ逸話の持ち主で、そのため天安門事件以降では胡錦濤時代がもっとも自由の空気があった。ネットでもかなりの共産党批判が可能になっていた。しかし、その時計の針を巻き戻したのが習近平だ。
中国では毛沢東が憲法を無視して準専制政治をやり、社会が地獄に突き落とされたため、その反省を踏まえて「主席任期制」というブレーキを設けていた。
習近平はそれすら廃止してしまった。そして、毛沢東時代さながらの言論思想の統制を始めている。こんなやつを大政治家呼ばわりしてヨイショしてきたのが、日本の左派・リベラル派だ。この連中の「人間を見る眼力の無さ」にはホトホト呆れる。
スポンサーリンク