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空海と真言密教

高野山真言宗総本山金剛峯寺 根本大塔

さて、前回、空海(774年~835年)を“探偵”にした風変わりな映画を紹介しましたが、そもそも空海が仏教を学びに唐に行った史実はよく知られています。

学校では、平安仏教の二大開祖として、次のように習います。

空海・・・真言宗の開祖、高野山を開く。

最澄・・・天台宗の開祖、比叡山延暦寺を建てる。

具体的な内容は知らなくとも、このくらいは暗記して当然というわけですね。

ウィキペディア「空海」は次のように記しています。

(前略)弘法大師(こうぼうだいし)の諡号(921年、醍醐天皇による)で知られる真言宗の開祖である。(略)日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらした。

(略)延暦23年(804年)、正規の遣唐使の留学僧(留学期間20年の予定)として唐に渡る。入唐(にっとう)直前まで一私度僧であった空海が突然留学僧として浮上する過程は、今日なお謎を残している。

(略)第16次(20回説では18次)遣唐使一行には、最澄や橘逸勢、後に中国で三蔵法師の称号を贈られる霊仙がいた。最澄はこの時期すでに天皇の護持僧である内供奉十禅師の一人に任命されており、当時の仏教界に確固たる地位を築いていたが、空海はまったく無名の一沙門だった。

(略)空海と橘逸勢が乗船したのは遣唐大使の乗る第1船、最澄は第2船である。この入唐船団の第3船、第4船は遭難し、唐にたどり着いたのは第1船と第2船のみであった。

なんと、空海と最澄は同じ遣唐使節の別々の船に乗っていたんですね。

で、船団の半分は沈んじゃった。まさに人の運命は紙一重。

当時の人々はむろんそういうリスクを熟知していました。それでも運を天に預けて船に乗り込んだんですね。どれほど勇敢で気高い人々であったことか。

想像してみてください。二回に一回は落ちる飛行機があったとして、そんなものに乗りますか? そうまでして留学しますか? 出世したいですか?

やはり、世俗的動機以上のものがなければ、こうまで決心できないと思います。



わずかな期間で真言密教を体得した空海

密教とは、端的に秘密の教えという意味で、師が弟子に対して代々伝承していく形式です。対して、経典などを通してすべての信者に教えが開かれているのが顕教。

空海自身によると、真言密教は「即身成仏」を説いているそうです。まさに現世において人は修行によって仏になることができるという教えです。

私も直には知りませんが、密教は非常に瞑想を重視する教えのようです。

以前、サイババ本の作者である青山圭秀さんが存命中にその境地に達するだろうという記事を書きました。

青山圭秀さんについては説明するまでもないと思います。日本においてサイババブームを巻き起こした方です。サイババさんもそうですが、「本物」や「真実」には中傷は付き物でもあります。サイババさんについては私も記事にしています(下・関連記事)。サイバ

どうやら、「仏になる=悟りを開く=神と直結する」というのが本当らしい。

空海さんはそういう教えを学ぶために、命がけで唐に渡ったんですね。

(略)長安で空海が師事したのは、まず醴泉寺の東土大唐——三藏法師。密教を学ぶために必須の梵語に磨きをかけたものと考えられている。空海はこの般若三蔵から梵語の経本や新訳経典を与えられている。

5月になると空海は、密教の第七祖である唐長安青龍寺の恵果和尚を訪ね、以降約半年にわたって師事することになる。恵果は空海が過酷な修行をすでに十分積んでいたことを初対面の際見抜いて、即座に密教の奥義伝授を開始し[9]、空海は6月13日に大悲胎蔵の学法灌頂、7月に金剛界の灌頂を受ける。

(略)8月10日には伝法阿闍梨位の灌頂を受け、「この世の一切を遍く照らす最上の者」(=大日如来)を意味する遍照金剛(へんじょうこんごう)の灌頂名を与えられた。この名は後世、空海を尊崇するご宝号として唱えられるようになる。このとき空海は、青龍寺や不空三蔵ゆかりの大興善寺から500人にものぼる人々を招いて食事の接待をし、感謝の気持ちを表している。

このように、空海さんは留学してたちまち頭角を現している。

彼の師・恵果(けいかHuì guŏ)という真言僧は、コトバンクによると、

従来別個の流れであった《大日経》系の密教(大悲胎蔵法)と《金剛頂経》系の密教(金剛界法)とを両部不二とみて一元化し,のちの真言密教の思想大系の基礎をつくった。

とあります。

また、恵果の師の「不空」という人は、インドから来た僧侶です。それまで密教は胎蔵・金剛の二種類に分かれていたようです。恵果はそれをまとめ、空海に伝えた。

「灌頂」というのは、こういうことらしい。

灌頂(かんじょう, 梵: abhiṣeka, abhiṣecana[1])とは、菩薩が仏になる時、その頭に諸仏がを注ぎ、仏の位(くらい)に達したことを証明すること[1]。密教においては、頭頂にを灌いで諸仏や曼荼羅と縁を結び、正しくは種々の戒律や資格を授けて正統な継承者とするための儀式のことをいう。本項では密教における潅頂について述べる。

指摘されていることですが、なにかキリスト教の洗礼と似ていますね。

灌頂を受けたということは、教えを体得したと認められたということです。

どうやら、空海さんはとんでもなく優秀な人だったようです。

本来20年間の予定でしたが、わずか二年ほどで帰国しました。

空海の著作に『三教指帰』というものがあります。平易な現代語訳を読んだことがあります。比較的短い文書なので、すぐに読めます。

道教・儒教・仏教の三つを比較して、仏教の優越性を説く内容です。

宗教学の始まりですが、当時はすべて外国の先端学問に等しい。その内容を比較しあえるというだけでも、彼が当代随一のインテリだったことがよく分かります。

彼の活躍はむしろ帰国後に始まるわけですが、記事の趣旨ではないので、それに関してはウィキペディア等をご参考下さい。

(つづく)