30年前の今日「天安門事件」

中国・アジア




みなさん、こんにちわ。

厳密には「第二次事件」なんですが、まあ社会通念上はこれでもよいかと。

30年前を思い出しますね。

当時、私は大阪芸大とかいう、奈良県との県境にある、敷地の奥が山になっている、ショボいFラン大学の学生で、しかもすでに通わなくなっていました。

(ただし、偏差値的にはFランでも、入試に絵の実技があって、しかも当時から結構入試倍率が高かったので、絵が描けない人はまず入れません。まあ、そこのところも学部によって微妙に違うわけですが、私は昔から絵が好きで、文章以上に得意です。)

ただ、学生寮にはしっかり住んでいました。「おまえもうプータローじゃんw」とか言われながら。バイトには熱心でした。やらないとそもそも食っていけないもので。

で、この天安門事件が起きた時、バイトの先輩の部屋にいて、あともう一人の仲間と、計3人で『スペース・ボール』というギャグ映画を見て、笑い転げていました。

その後、いろいろ話をして、パッとテレビをつけたら、天安門の中継だったんですね。

学生を中心とする群衆が天安門広場を埋め尽くしていて、物凄い抗議デモで、「むむ、これは革命になるぞ」とか感想を言い合っていました。それがたぶん6月3日。

で、翌未明でしたけど、戦車と軍隊が出動して、デモ隊を蹴散らしてしまった。

その時、軍隊は明らかに小銃を「水平撃ち」していたんですね。後に「死者はほとんどいなかった」などの風説が流され、NHKまでが情報操作に加担していました。

ええーっと、部隊は空砲詰めて鎮圧任務に就いたんですかと?

デモの武力鎮圧を決断し、命じたのは鄧小平その人

この人は元野戦軍司令官だった。諸説あるが、まあ数千人は殺しているでしょうね。その後、死体を隠蔽するため、戦車でくりかえし轢いて、ミンチにした。

「なんの証拠ガー」って、ちゃんと写真ありますから(載せないが)。

その後の政治的粛正も凄まじくて、鎮圧に消極的だった者は、軍人だろうが官僚だろうが失脚させられた。対して、鄧小平の方針に忠実だった者は出世した。

中国共産内でこの事件が「踏み絵」になったわけです。

当時は、昭和天皇が崩御して、ベルリンの壁が崩壊して、バブル経済が崩壊して、と続いて、時代の節目でもありました。



デモが成功してもやはり中国は経済発展していただろう

さて、アゴラで八幡和郎さんが次のような記事を書いておられる。

鄧小平は平成日本より国民を幸福にした(天安門事件30年総決算)

(前略)天安門に集まった学生を押さえ込んだからこそ今日の中国人の幸福がある。それが分かっているから中国人は欧米的な民主主義に憬れを持たなくなった。(略)

そして、天安門事件の原因は、青臭さい全共闘的学生たちを、趙紫陽が自分の権力維持のために利用したことにあると当時も思ったし、現在も変わらない。

私は、八幡氏が当代随一の評論家であると思っているし、今後とも日本国のご意見番として期待しているけども、時々、極端過ぎないかと、疑問に思う時がある。

八幡氏の江戸時代に対する低評価などは、その一例。

今回も、中国共産党の対応が「絶対悪」と見なす風潮の中で、氏の常識に捕らわれないバランス感覚がむしろオーバー気味で、擁護というか評価が行き過ぎた感が否めない。

コメント欄で佐藤鴻全氏が少しだけ反論されているが、私の考えも佐藤氏より。

30年前と比べて中国は凄まじく豊かになったのは事実。

しかし、沿海部の4億人のため、他を犠牲にするシステムの貢献は見過ごせない要因で、その是正はまだ始まったばかり。あとウイグル・チベット・内モンゴルなどの少数民族に対する仕打ちと、その地の天然資源の無制限な収奪の上にも成り立っていた。

中国はエネルギー資源と鉱物資源を長らく自給できた(今は石油輸入国)。資本と技術は日本などから降ってきた。日本がまず中国に教えたのは近代的な製鉄でした。また、土地国有制による理想的な開発独裁が可能だった。何よりも中国人が勤勉だった。

つまり、「元から経済発展する基礎的条件は揃っていた」と思う。

よって、天安門の学生運動が成功していたら、強権を失った新政府は混迷し、強力な指導力を発揮できずに経済発展のスピードも遅れたはずだが、しかし、自由化して十年もしないうちに、やはり経済発展していただろうというのが私の考え。

中国にはそもそも、それだけのポテンシャルがあったわけです。中国の古代・中世史を知っていたら、「貧しい時代」が例外に過ぎないことくらい自明です。

つまり、遠回りだったけど、学生・市民側と、それをバックにした趙紫陽改革政権が主導権を握り、鄧小平が引退させられたほうが、結果的に良かったのではないかと。

ご存知の方も多いと思うが、事件の背景にあったのは、そもそも、趙紫陽ら新世代の政治家と、鄧小平との権力闘争です。後者が勝ち、共産党は自己改革の機会を失った。

というわけで、「鄧小平は平成日本より(4億人の)国民を幸福にした」というのは、確かに事実かもしれないが、あの時にデモが鎮圧されず、権力側の妥協という結果に終わったほうが結果的に中国にとっても周辺地域にとっても良かった可能性がありますよ。

次回も中国!

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