玉蔵さんのサイトで知りましたが、
あの「霧が峰」でメガソーラーが作られる計画が進行しているそうです。
かなり前ですが、霧が峰に行った時、まるでアルプスの高原のような光景に感嘆したものです。その中に、なんとポツンと一軒家があった。今にして思えばペンションだった気がしますが、驚いて近づいてみると、家の前には小川が流れていた。
その時は昼だったのですが、夜だったら満天の星空が見えたことでしょう。
諏訪から一時間くらい車で移動した記憶がありますから、実際に生活している人はかなり不便かもしれませんが、それを補って余りある暮らしだと思います。
まるで理想の家でした。「いつかこんな暮らしができたらいいな」と、ふと思いました。
以来、その家と霧が峰は、私にとって理想郷というか、憧れの対象になりました。
「プライベート電源」ならば太陽光発電にも賛成
今、全国でメガソーラーによる自然破壊が進行しているようです。
私が取り上げた静岡県伊東市の例はそのうちの一つに過ぎません。
たしかに、電源の開発・設置にあたって「まったく自然を破壊しない」というのは無理かもしれない。しかし、一口に破壊といっても「程度問題」ではないでしょうか。
東京ドーム何十個分の森を伐採したりするレベルの自然破壊が許されるのでしょうか。
自然の富・恵みを失うことによる長期的な外部コストは、なかなか算定し辛い。だが、その損失は確実に存在し、しかも負うのは将来の世代であり社会なんです。
私は、太陽光発電に対しては、6年前から一貫して同じことを主張してきました。
太陽光発電は、商用電源ではなく、個別電源に向いているということ。
だから、個人の住宅や、オフィスビル・工場・公共施設などの法人向けの「プライベート電源」として設置するなら、むしろ賛成であり、推進派。
大型工場の屋根をドーンと使えば、立派な“メガソーラー”になりますが、需要家が自分用に設置する分には全然問題ない。
また、公共メガソーラーであっても、山奥にある村落や離島などの小集団が、電源自立用に設置することは構わない。むしろそれは推奨される。
というのも、電力システム基準では、実は送電設備に一番コストがかかっているから。
つまり、問題は一般需要家向けの「商用メガソーラー」なんです。
ややこしいが、この辺は電力をシステムとして捉えると分かってくる。
要は「回路」の末端にある需要家が自分用に太陽光発電をやるのは、何の問題もないどころか、むしろエネルギー政策として改善になる。
だが、その回路の「元」にメガソーラーを入れることは駄目というわけです。
断固反対の理由は、今まで繰り返し書いてきたので、転載で済ませます。
以下は今から6年以上前、固定価格買取制度がまだ施行される前に書いた文章です。できれば全文を読んでいただけると手っ取り早いが、一部をここに抜き出します。
(以下引用開始)
「まだ早すぎるメガソーラー事業はいったん白紙撤回にすべき」
(*リンク先は2012年04月13日の「アゴラ」記事の転載分)
(前略)「それでも、やらないよりはマシだ」と強弁する人もいるかもしれない。だが、私の考えは違う。「やらないほうがマシ」なのだ。なぜか。このような政治的な手法は、まず「自然エネルギーを何としても普及させなければならない」という前提があり、その上で「それ以外に選択肢がない」場合にのみ、正当化されると考えられるからである。
私は、エネルギー自給率や持続可能性の向上、化石燃料費削減などの観点から、前提そのものには同意する。だが、そのための手段として、われわれは本当にメガソーラー以外に選択肢を持たないのであろうか。あるいは、メガソーラーをメインの手段とせざるをえないほど、事態が逼迫しているのであろうか。
この判断が、おそらく、現実的・戦略的な自然エネルギー主義者と、空想的で場当たり的なそれとの分かれ目になる。
「もっと有望な他の選択肢が複数あり、優先順位からいうとメガソーラーは最後であるべきだ」というのが、私の答えだ。
つまり、私は「自然エネルギー開発をやめろ」と言っているのではなく、その資金を他の選択肢(地熱・バイオマス・風力など)に振り向けるべきだと主張しているのである。
おそらく、現状のままFITを始動させると、もっとも費用対効果の悪いメガソーラーに、もっとも投資が集中してしまう。それによって、電源における自然エネ比を増やすという目的の達成が、かえって遠ざかってしまうだろう。
私はそれを危惧するがゆえに、「すべてのメガソーラー事業は中止すべきだ」という、一見極論ともいえることを、あえてこの場で強調したい。できないことはない。売電業者がどれだけ喚き散らそうが、買取価格を15円に設定してしまえばよいのだ。そして、逆に、地熱やバイオマスなどの地道で手間のかかる電源開発がより報われるような仕組みへと変える。ソーラー屋がいかに怨嗟の声を上げようが、こう畳み返せばいい。
「1kWh=15円なら買い取ると言っているだろう。それなら赤字? では、君らはその自分たちの赤字を消費者が負担するべきだと訴えているのかね?」と。
(略)商用電源への巨額投資は、あくまで「地熱開発」と「火力の発電効率の上昇」の2点に重点を置くべきだ。これに黙々と二十年ほど取り組むと、2030年頃には驚くべき成果を達成することができるだろう。
だが、一種の「空気」というか「勢い」で、このままFITをテコにしたメガソーラーの大量整備に突っ込んでいったら、まったく逆の結果となる。おそらく、早ければ5年後の2017年頃には、大論争が沸き起こっているはずだ。
「今まで何兆円もの金をメガソーラー建設に投じてきたのに、電源の割合をみるとスズメの涙ほどしか反映されていない。いったいなぜだ!?」と。
(以上引用終わり)
地熱、洋上風力、海流発電などの真に有望な自然エネルギー
まあ、自慢するみたいですが、全国的に見ても、FIT法施行前にここまではっきりと正しい主張をしていた例は、非常に珍しいのではないでしょうか。
今頃は「大論争が沸き起こっているはず」という予想は外れましたが・・。
いずれにしても、商用メガソーラーの原資は、私たち消費者の「再エネ発電賦課金」なんです。電力会社の毎月の領収書を見てください。月一千円近くなっている。
6年前、「FIT導入・太陽光電力の高額買い取り」に向けて集団暴走した連中は、結果的に何兆円(正確に計算すればたぶん10兆円以上のはず)という消費者の金を無駄にした。まだ風車一託のほうが何倍もマシでした。いや「2倍」マシでした。なぜなら、同じコストでも、風車だとメガソーラーの2倍の発電量を得られたからです。
私が逆に一貫して推奨したのが「地熱発電」でした。
よくある誤解ですが、地熱発電に、熱水・熱蒸気は必ずしも必要ではない。今は地下に熱源さえあれば閉鎖サイクルを使って発電可能です。
で、この「熱水不要の地熱発電」は火山性の地下の多い日本に非常に適している。しかも、稼働率が高く、定常発電するから、原発の代替に向いている。
実は、電力会社は過去に高温岩体発電のポテンシャルを調査して、中途半端なところで止めている。なぜ止めたのか? それは「地熱発電を本気でやれば原発がいらないことが分かってしまう」と恐れたからではないかと、私は勘ぐっています。
あと、将来的には(5、6年前には“将来的には”でしたが、今では始まっています)、洋上風力と海流発電という、ド級のポテンシャルを持つ自然エネルギー発電があると、私は以前からそのように主張・推薦してきました。
だから慌ててメガソーラーなんかやる必要はないのだと・・。
ご興味のある方は以下の記事を参考にしてください。
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