「金正日の料理人」藤本健二氏の目を通して描かれているのは、故・金正日の凄まじいまでの美食家ぶりです。味覚の鋭さには藤本氏も幾度となく脱帽している。
昔のような絶対王権がほぼ消滅した現代にあって、子供の頃からこれほどうまいものを自由気ままに食い尽くした人物も珍しいのではないか。
その美食道には海原雄山も真っ青。藤本氏は、言ってみれば金正日の「私設美食倶楽部」の寿司担当。まあ、晩年はさすがに糖尿病に苦しんだようですが・・。
ところで、金正日は酒も好きだったようです。
ただ、健康面から、美酒を嗜むことにはドクターストップが掛かったようです。
酒豪でなければ務まりにくい北朝鮮幹部
(以下、同書P54~61から引用)
(前略)金正日の健康面で懸念があるのは、父の金日成がそうであったように、まず、心臓だろう。肝臓も弱っているはずである。(略)
金正日はよく酒を飲むが、とはいえアル中気味ということはない。時々宣言して、断酒するほどである。
「明日から三か月間、おれは酒を飲まないぞ」と告げるのだ。そうすると、本当にその間は一満も飲まない。そのあたりの意志の強さには驚かされる。(略)
断酒中も宴会は途切れず開かれるが、将軍様が酒を断っている前で、さすがに部下は飲みにくい。けれども、そんなとき雰囲気を察した金正日は、後ろに控える将軍専用のボーイに、「おい、藤本にビールを出してやれー」と気遣ってくれるのだ。
私の記憶では、金正日の最長断酒期間は四か月であった。
断酒中のなんとなく気まずい宴会の空気を打ち破るのは、金正日の実妹金敬姫(キムキョンヒ)の夫・張成沢(チャンソンテク)だ。
張成沢はいつも宴会の前から飲んでいる男だった。飲まなければ、宴会の席には座っていられないのである。
宴会が始まり三、四十分過ぎると、いつも張成沢が立ち上がって、大声で召集号令をかける。
「将軍様の前へ整列!」
そうすると幹部連中が十人ぐらいずつ出てくる
「将軍様に御挨拶を!」
「将軍様に乾杯!」
「将軍様バンザイ!」
それが六回、七回と延々と続くのだ。
問題なのは、そのたびにコニャックなら百グラム、ワインなら二百二十グラムを飲み干さなければならない。金正日が断酒しているときにかぎって、これが激しさを増す傾向がある。
この見方次第ではリンチのようですらある乾杯のせいで、私はコニャックもワインも今は飲めなくなってしまった。以前は、買い付けで海外に出たときは必ず免税店でレミーマルタンを三本買って、そのうちの一本を旅先のホテルで飲むのが密かな楽しみだったが、今は匂いをかいだだけで吐き気に襲われる始末である。
ところで、どんなときに金正日が断酒するのかというと、たいていは専属の医師からいわゆる「ドクターストップ」がかかったときだ。(略)
酒は断ててもマグロは断てず
一度、金正日は専属の医師からこんな忠告をされた。
「将軍様、しばらくマグロとサバを召し上がるのをお止めください」
金正日いちばんの好物、マグロのトロ、赤身が食べられなくなった。
それでも夜の宴会に、私は寿司の出張で呼ばれた。
マグロを食べられない金正日は、私に向かってつぶやいた。
「藤本、マグロのない寿司は間が抜けているな」
その次に呼ばれたとき、金正日が小声で命じた。
「おい、藤本。マグロを用意しろ。寿司を食べた気がしないのだ」(略)
要するに、金正日は酒を断つことができたが、マグロは断てなかったわけである。
私が心をこめて握ったマグロを食べた金正日が言った。
「トロ、ワンモア」(略)
平壌の金正日用の冷蔵庫には当然、ありとあらゆるものが常備してある。そのレベルを各招待所で過ごすときにも要求されるので、我々料理人は大変だった。
何かを切らしたら大変なことになる。例えば、奈良漬け。
あるとき突然、金正日がこう聞いてきた。
「おい、藤本。奈良漬けが食べたい。あるか?」
「ははっ、ございます」
本来であれば、奈良漬けは鰻料理のとき以外には出さないが、備えあれば憂いなしである。
鰻で思い出したのだが、私が金正日に「関東式」の鰻を食べさせたことがきっかけで、後に鰻の養殖場までつくるようになった。(略)
評価されなかった剣菱の味
金正日のビールの好みはアサヒスーパードライだったが、日本酒にも一時凝った時期があった。もっとも、金正日自身の日本酒ブームは半年ほどで終わってしまった。
原因はその飲み方にあるようだ。
あるとき金正日が顔をしかめてこう訴えてきた。
「おい、藤本。この日本酒は美味いには美味いが、翌朝アタマが痛くてなあ」
私は苦笑しながら答えた。
「将軍様、それはそうです。前にも申し上げましたように、日本酒は二合ないし三合召し上がるならば、体が温まってほろ酔い気分になれる最高に美味しいお酒なのです。でも、将軍様のように一升も飲まれたのでは、どんなかたでも翌朝は二日酔いになります」
どのような日本酒の銘柄を金正日が試したかというと、菊正宗、月桂冠、白雪、白鹿などだったが、あるとき私は余計なことを喋ってしまった。
「将軍様、日本酒の中で大人気の剣菱という銘柄がございます。一時期、日本の料理屋で剣菱をおいていないところは店の格をワンランク下に見られたほどでした」
金正日はうなった。
「それほど美味い酒なのか。よし、買ってこい」(略)
この三種類の日本酒を金正日が飲み比べてみた。
剣菱を口に含んだ金正日が私を睨みつけた。
「なんだこれは! これは藤本専用にしろ!」
どうやら口に合わなかったようだ。それからというもの、日本酒が出されるときには必ず金正日はこう命じるのだった。
「おい、ウエイター。藤本には菊正宗ではなくて剣菱をもってこい」
金正日が気に入った日本酒は菊正宗だった。(略)
金正日が、これを買ってこいと命じると、たいていのものが二週間後には揃っていた。
(以上、引用終わり)
一升飲むとは、どんだけ酒豪なのかと。
それにしても北朝鮮で幹部に昇進するのは大変みたいですね。延々と「乾杯」に付き合わないといけない。米軍も、攻撃するなら、酒宴中にやればいいのかも。
ところで、義弟の張成沢(チャンソンテク)の名が出てきました。
金正日と張成沢以下幹部の酒宴には、どことなくコメディのような雰囲気があった。みんなでドンチャンしながら日本の軍歌まで歌ったりして。
実際、朝鮮人民軍の軍歌には、元日本軍歌もかなりあるらしい。
ただ、この張成沢が金正恩の逆鱗に触れて処刑されたのは周知の通り。
やはり金正恩時代になってから、北朝鮮はさらに悪い方向へ変質した気がします。
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