下は幸福実現党の制作した動画である。
断っておくが、私は同党の者ではないし、動画が誘導しようとしている政治的主張には必ずしも賛成できない。ただし、動画の結論がイデオロギー的であっても、シミュレーションにおける物理的な被害想定それ自体の価値が損なわれるわけではない。
(*威力は10.4Mt)
要するに、核ミサイルを撃たれたら、何十万人もの日本人が虐殺されて、首都がほぼ壊滅するという内容である。大手テレビ局は、どうでもいい番組には金をかけるが、こういう本当に重要なことは番組にしない。
さて、標的が東京か否かは置いといて、日本が北朝鮮から核攻撃を受ける事態について、依然として「ありえない」「信じられない」という人も多い。だが、1940年8月の時点で5年後に日本の56都市が壊滅していることを予想しえた人がいただろうか。
当時そんなことを真顔で主張すれば周囲から迫害され、スパイとして内務省特高警察に摘発されたかもしれない。実際には万人が予想しなかったことが起きるのが現実の歴史である。
つまり、神州不滅の科学的根拠がない以上、北朝鮮の原爆が皇居の真上で爆発してもおかしくないということは、当然想定すべきである。そして、そうなった場合、(こういう表現は使いたくないが)私たちは報復で在日朝鮮人を殺さなければならなくなる。
私は殺されるのも、殺すのも嫌だ。なんとか、回避する方法はないだろうか。言い方を変えると、この種のリスクを最低下する戦略は何だろうか。
本来、こういう内容はタブー視せずに国会や大手新聞・テレビのレベルでやるべき議論なのだ。とくに、野党第一党の民進党は、せっかく党首が交代したのに、大臣の発言がどうのこうのといった、昔ながらの揚げ足取りから一歩も脱していない。
硬直した思考や戦略が日本を滅ぼす
さて、白々しく問いかけてみたが、私の持論は昔から一歩も変化していない。すなわち「局外中立」である。
アメリカとユダヤは、こうなるリスクは承知のうえで北朝鮮を処断するのだ。私はこんな事態にはなってほしくない。だから、現実にならないためには、どうしたらよいか。こういう悲惨な未来を避けるにはどうしたらよいか、考えてきた。
一番いいのは、朝鮮半島での戦争に一切関わらないこと、また在日米軍にも関わらせないことではないだろうか。今日、吹聴され、常識化しているのは以下である。
「北朝鮮の核とミサイルは、わが国にとって安全保障上の脅威だ。だから、それに対して日米韓の連携を強化しなければならない」
誰もが物理の法則か何かの真理のごとく、このように言う。だが、よくよく考えてみれば、これを一つの真理と見なすのは無理がある。なぜなら、この文章の前半は脅威の存在という事実を明示しており、後半はそれに対処する戦略を表しているからだ。
つまり、本来は全然別個のことなのである。例えるなら、従来のこの常識は、身体と服装を一緒に論じているようなものだ。服装のように戦略もまた様々な選択を考えるべきではないのか。
少し前まで、「北朝鮮が日本を核攻撃するはずがない、そんな事態があるわけがない」というのが人々の常識だった。それと「日米韓連携の強化」という対北戦略には、妙に共通するものがある。それは岩のごとき固定観念であり、硬直した思考だ。
民進党にしてからが「有事の際は韓国を助けろ」という常識から一歩も外を出ないが、根っこにあるのは強固な思い込みだ。思考力や想像力の貧弱と言い換えてもいいのではないだろうか。
日本の不幸は、北朝鮮の安全保障のために局外中立を訴えるものがいても、日本の安全保障のためにそれを訴えるものがいないことだ。
たとえば、中核派や関連する労働団体などは、「米帝・日帝・安倍政権は朝鮮半島で侵略戦争をするな!」などと主張している。要は北朝鮮の代弁をしているわけで、彼らの立場なら意味不明の戯言というわけでもない。
日朝交戦になると、北朝鮮の手先には刑法第81条と82条が適用されるわけで、だからこの連中も必死なのだろうが、こういう北のパペットのせいで、局外中立を訴える私までもが北朝鮮の手先と疑われかねないのだから迷惑な話だ。
私は別に平和主義者でも何でもない。「損か、得か」で考えるごく平凡な、小市民的人間だ。
北朝鮮は今や事実上の核ミサイル保有国である。かつてと比べて、脅威の質が根本から変化した。それに対して、相変わらず「日米韓の連携強化」だけが有効な戦略だとでもいうのだろうか。あるいは、日米はともかく、日韓までも連携しなければならないのだろうか。「連携」とは言うが、例によって日本が一方的に支援するだけの話ではないか。
こういう固定観念にいつまでも縛られていると、本当にこの動画のような悲劇が起こらないとも限らない。戦前の日本も間違った戦略に固執したせいで破滅したのだ。
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