白人とアジア人の対等を印象付けた平昌冬季五輪

文化全般




みなさん、こんにちは。

平昌オリンピックは素晴らしかったですね。とくに、フィギュアスケートおよびエキシビジョン・フィナーレは例年になく感動的でした。

羽生結弦選手が金メダルを、宇野昌磨選手が銀メダルを獲得するといった日本選手の大活躍もさることながら、それとはまったく異質の感動も加味されていました。

それが、まだ不完全ながらも、人類としての一体感です。少し大袈裟ですが、とくにフィナーレでは、人種や国家の壁を乗り越えて、われわれはみな同じ一つの種だという意識というか空気が、かなりナチュラルに感じられました。それはフィナーレの演出以上に選手自身がそういう気持ちだったから共感できたのだと思います。

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2018 Winter Olympics Figure Skating Gala Exhibition – This is Me (Part 3 of 3)



フィギュアスケートは本来「白人の美」の象徴だった

あまり競技種目に優劣をつけるのもなんですが、これを欠いたら冬季五輪は成り立たないという意味で、やはり王座にあるのがフィギュアスケートではないでしょうか。

この種目はもともと白人による白人のためのショーでした。なにしろ、スケートリンク自体、長らく有色人種お断りだったのです。しかも、単純に身体能力だけを競う種目とは異なり、それ以上に美と優雅さを競うものでもある。つまり「芸術」なんですね。

だから、単に長く走ったり、高く飛んだりするのは“野蛮人”でも可能だが、フィギュアスケートだけは「白人以外には絶対に無理」と白人の間で信じられてきました。

日本人はそんな排他的な空気も読まず、というか、実は鈍感なために空気の存在にすら気づかず、ほとんどひとりで頑張っていたわけです。ちょうど、日本の武道クラブに紛れ込んできた白人のように、周りから“浮き”ながら。必死でモノマネしながら文明の階段を駆け上がってくるイエローか・・という違和感バリバリの視線でしょうか。

私は大雑把に言って20世紀まではそういう時代だったと思っています。日本人は最後までそういう空気の存在に気づきませんでしたが(笑)、選手個人、たとえば伊藤みどりあたりまでは、ひしひしと「人種の壁」の存在を実感していたはずだと思います。

韓国勢の参入で孤独ではなくなった日本

その中にあって、イエロー仲間として中国も加わって来ましたが、私はそれ以上に韓国が加わってきた事実が大きかったと思います。韓国はOECD諸国の一員であり、一応は西側的なノーマルな国の一つと思われています。要は西側基準で「普通の国」です。

それゆえ、共産国家の政治的な後押しではなく、韓国は日本と同じように社会の成熟の結果として参入してきたと見なされた。その途端、日本人選手は「白人クラブの中の例外的存在」ではなくなりました。日本人だけが頑張っている構図が終焉したわけです。

フィギュアスケートにおいて、これまで日韓は「ライバル」という点にばかり光を当てられてきましたが、対欧米という点では実は同胞であり共闘関係にあったのではないでしょうか。少なくとも欧米から見れば、同じアジア勢の勃興に他ならなかった。

今にして思えば、浅田真央とキム・ヨナが女子フィギュアの女王の座をかけて競ったことも、アジア勢としての底上げと存在感を世界に示すことに繋がりました。

そういった方向の延長線上に今回の平昌オリンピックがありました。そして歴史上初めて、欧米人とアジア人が当たり前のように混在し、人種の区別をほとんど感じさせないフィギュアスケートとなりました。その集大成がフィナーレであったと思います。

まだ課題は多いが、着実に前進している

ちょうど1世紀ほど昔、1919年、日本は国際連盟の場において人種平等の提案をしましたが、議長のウッドロー・ウィルソンに葬られました。

当時の欧米人にとって、アジア人といえば、建設労働者や洗濯屋をしていなければならない存在のはずでした。日本は“孤独な例外”に過ぎませんでした。

約半世紀前の1963年には、かのマーティン・ルーサー・キング牧師が歴史的な演説を行いました。その中にある次の一節はあまりにも有名です。

I have a dream that one day on the red hills of Georgia the sons of former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood.

私には夢がある。いつの日かジョージアの赤い丘で、元奴隷たちの子孫とその主人たちの子孫が一緒に同胞のテーブルに坐ることができるという夢を。

現状はこのキング牧師の言葉にまだ届かないと思います。

ただ、少なくとも、白人とアジア人の対等くらいには漕ぎつけたかもしれません。日本勢のメダル数が史上最高数であったとはいえ、依然として冬季五輪のメダル数では欧米勢が圧倒していますが、そういう意味で今回は歴史的な大会であったと思います。

ただし、全体的に「白っぽい人」が大半だった点が気がかりだったことはお伝えしておかねばなりません。つまり、“アジア人”といっても、日本人や韓国人のように比較的色白の人が多くて、肌の濃い人はまだまだ少ないと言わざるをえません。

依然としてそういう人たちが疎外感を覚えるのであれば、フィギュアスケートは単に「白人クラブ」から「色白クラブ」に変わっただけと評されても仕方ありません。

そういう人たちの存在を無意識にネグレクトするならば、今度は私たちの、又はアジア人内の差別意識や南北格差が問題にされることになるでしょう。

さらに、従来的なフィギュアスケートの衣装がタブーに触れるイスラム教の人々をどう取り込んでいくかという問題も残されています。彼らが参加を望むならば、衣装に対する固定観念もまた見直しの対象になる可能性もあります。今、イスラム教徒の女性たちの間で日本の「カワイイ系ファッション」を取り入れた服装が流行っていますが、意外と彼女たちがフィギュアスケートの“伝統”に風穴を開けてくれるかもしれません。

いずれにしても、人類は少しずつよい方向へと向かっているので、次の四年後の北京冬季五輪では、もっと「壁」を乗り越えている姿を見られると期待していいと思います。

WE ARE THE WORLD!!

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