史上初、習近平と金正恩が反米で結束する!【新中朝反米同盟・前半】

中国・アジア
出典:「人民網日本語版」2018年3月28日




私の知る限り、まだ学者・専門家系の人は誰も言及していないが、現在の習近平体制と金正恩体制が発足して以来、「初めて」といえる「ある状況」が生じつつある。

それは「史上初めて習近平と金正恩が反米でがっちりと手を組む」ということ(まだ「組んだ」と過去形では断言できない。それはこれから起きることだから)。

それが何を意味し、東アジアに何をもたらすのか?

今回はそれについて急きょ考察してみたい。



当初、中朝関係は悪化の一途を辿り、「中韓蜜月」時代までが訪れた

まずは「これまでの流れ」をおさらいしたい。

金正日のふいの死による金正恩体制の発足が2011年12月

一方、習近平体制の発足が2013年3月。といっても、その少し前から「次の最高指導者」たる習近平の権力は絶大になっていた。

金正恩はトップに就任して以降、核爆弾と弾道ミサイルの開発を加速させる。

2013年2月には3度目の核実験を強行。これに対して習近平の怒りは大きかったようだ。中国は初めて本格的な対北経済制裁を独自に実施した。

当然、金正恩も中国に反発した。このように、習近平は政権当初から金正恩と衝突した。朝鮮戦争以来の両国の「血の盟友」関係は終わったとまで言われた。

他方、習近平が異様なほど厚遇したのが朴クネである。

中国が北朝鮮の核実験に激怒して2週間後、習近平体制とほとんど同時期に発足したのが韓国の朴クネ政権だった。

2013年6月、朴クネ大統領が初訪中した。習近平は国賓待遇でもてなした。

このような「中韓蜜月」は、朴クネが失脚するまで続く。それが最高潮に達したのが、西側の首脳として唯一、中国の「抗日戦勝70年周年記念軍事パレード」に出席した頃だ。彼女が異常な反日外交を展開できたのも中国の威をバックにできたからだ。

対して、金正恩は2013年12月、国内中国派の筆頭・張成沢(チャン・ソンテク)とその派閥・一族を「国家転覆を企てた」として処刑した。

習近平ははっきりと韓国を厚遇し、北朝鮮を冷遇するようになった。

朴クネがパートナーに選ばれたことに対して、当然、金正恩は非常な怒りと敵愾心を持ったようだ。韓国内の左派勢力が朴クネを猛攻撃し始めた背景には、金正恩じきじきの指令があったと推測される。「ろうそくデモ」なるものは工作の典型であるが、大半の参加者は自分が背後から操られていることも知らず、民主主義のためと信じたようだ。

余談だが、「反朴クネカルト」と「反安倍カルト」は同類。北朝鮮の工作員とその日本人協力者、そして彼らに踊らされている一般市民によって構成されている。

彼らが「アベ降ろし」に異常な執念を燃やし、モリ・カケなどという、くだらない問題で執拗に騒ぎ立てた。幼稚な工作に踊らされている者がいかに多いか。また、辻元清美、そして彼女の姿をいつも大写しにして宣伝するNHK報道部も国内の北朝鮮協力者である。仮想敵国のスパイが大手をふるって工作できる国、それが日本なのである。

金正恩の狂気の二年間と反対に比較的良好だった米中関係

話を戻す。孤立を深めた金正恩は猛然と核・弾道ミサイルの開発に邁進した。

やはり「核ミサイルを保有することが唯一、外敵から体制を保障する道だ」と確信していたようだ。とりわけ2016年と17年には鬼気迫るものがあった。

金正恩は2016年初頭に4度目の核実験を行い、その後は毎月のように弾道ミサイルの発射実験を行い続けた。9月には5度目の核実験を行った。

金正恩は日米に向けてケンカを売るだけでなく、習近平の顔にも泥を塗り続けた。

2017年9月、北朝鮮は、中国主催のBRICS首脳会議の開幕日に、6度目の核実験を行った。しかも、北朝鮮いわく「ICBM用の水爆実験」である。

このように、金正恩は「あえて習近平の面子を潰す」ことまでやってのけた。

北朝鮮は2016年の核実験により輸出の「3分の1」を削がれる国連制裁を食らい、2017年9月の追加の「9・11」制裁では、それが9割にも達した。

北朝鮮は声明で、史上初めて、制裁賛成に回った中国を名指しで非難した。

2017年の終わり頃には、米本土全域を攻撃できると称する新型ICBM「火星15号」を、いわゆるロフテッド軌道で長時間にわたり打ち上げることに成功した。

このように、米朝関係のみならず、中朝関係までが過去最悪だった。この時期、北朝鮮は米中の両国を敵に回していたと評しても過言ではない。

他方、その米中の関係について言えば、米国による南シナ海域での「航行の自由作戦」が続いていたものの、比較的良好だった。

当初、トランプと習近平の仲もよく、「対北朝鮮」でもほぼ姿勢が一致していた。その結果として、中国は国連安保理での対北経済制裁にも賛成に回っていた。

2018年3月に「ターニングポイント」が訪れた

さて、2018年1月30日、トランプ大統領は一般教書演説において北朝鮮のことを「邪悪」と呼んだ。これはかのブッシュ・ジュニア政権の「悪の枢軸」演説を想起させた。当時のブッシュ政権はイラクの次に北朝鮮を攻撃する予定だった。

金正恩もまた米軍がいつ奇襲攻撃をかけてくるか、この頃から非常に恐れ始めたと伝えられている。しかし、いよいよ戦争が現実味を帯びたことで、何としても防ごうという動きも活発化した。この時期にもっとも積極的に動いたのが文在寅大統領である。

2016年の暮れ、朴クネは民衆運動の盛り上がりにより弾劾訴追され、翌5月には、かつて朴クネと大統領の座を争っていた文在寅が新大統領に当選した。

文在寅は2018年冬の平昌オリンピックを南北の友好イベントに変えた。そして、米朝の仲介役を買って出て、追い詰められている北朝鮮に救いの手を差し伸べた。

彼は北朝鮮から非核化の言質をとり、それをホワイトハウスに伝えることをやった。「非核化するなら会談に応じてもよい」というのがトランプ政権の元からの姿勢だった。

こうして、南北両国から米朝会談を要請する形になり、それに対してトランプが会うと即答した。これを自身の成果として喧伝したのが仲介役の韓国政府である。

しかし、私は当初からこの“仲介役”が話を“盛った”のではないかと疑問を呈した。事実、北朝鮮がこの時点で本当に完全非核化を約束したのか、その「言った・言わない」の問題がまだ尾を引いている。やっぱり誇張したのが真相らしい。

その文在寅大統領自身も4月には南北首脳会談を実施。金正恩はピタリとミサイルの発射を止め、韓国と米国に対して盛んに融和ムードをアピールし始めた。

ところで、トランプの「即答」が3月10日と言われるが、どういう訳か、この時期からトランプ政権は中国への経済制裁を打ち出し始めた。しかも、トランプは台湾旅行法(Taiwan Travel Act)に署名。二期目再選直前の習主席の面子を潰した。

これにより、中朝の利害が一致とまでは言わないが、急速に両者の接近が始まった。

3月25日、金正恩は突如、北京を訪問した。

父の金正日が死去して以来、初めての外遊だという。国家元首同士の外交もこれが始めてだったらしい。習近平は国賓待遇で彼をもてなした。それまで金正恩は、父・祖父とは違い、中国に対する敬意や礼節が明らかに欠けていたが、CCTVが放送したのは、習主席の前でかしこまって熱心にメモを取る若者の姿だった。

(後半へつづく)

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