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新たな天皇像のモデルを作った後期昭和天皇と平成天皇

令和開闢を機に、日本のガバナンス(統治)の本質について、数回ほど述べてきました。

長い時間をかけて、今の「国民が主人」の状態へとたどり着いたのだと。

これは、あたかも旧皮質を新皮質が覆うことによって大脳が成長するがごとく、旧システムに近代的体制が覆いかぶさる“重層化”によって漸進的に達成された成果です。

たとえば、期近では、「明治維新」と「戦後GHQ改革」という“革命”があったが、以前のものがすべて破壊されなかった。日本人はこういった日本的な変革のあり方をだいだい承知しているが、逆に欧米人と中韓人は誤解しているケースが大半です。

彼らはたいてい、その“革命”の前が邪悪で野蛮な体制であり、“革命”によって全面的に否定されたという見方に(無意識のうちに)立つ。そうすることによって、現在の(もともとさして無い)自分たちの道徳的正当性を政治的に強調するのが彼ら流の歴史認識だからです。これは中韓人だけではなく、欧米人もそういうところがある。そのせいで彼らが信じている歴史は矛盾だらけだが、無知なために気づいていない。

以下のBBCのルーパート・ウィングフィールド=ヘイズ東京特派員はその典型です。ただし、彼は一方で鋭い見方もしていて、しかもそれは私の考えとも一致する。

天皇陛下、その人間らしさ 20190430

(前略)ほとんどの日本人にとって、平成(「平和の達成」を意味する)時代は経済停滞を意味してきた。加えて、悲劇に見舞われた時代でもあった。

1995年1月、マグニチュード6.9の大地震が神戸の街を襲った。ビルや道路の陸橋が倒壊し、火災が何日も続いて空が暗くなった。死者は6000人を超えた。

2011年には、さらに甚大な被害をもたらす地震が東北地方の沖合で発生した。(略)壊滅的な被害を及ぼして、約1万6000人の命を奪った。

この2番目の災害の後、天皇陛下は過去の天皇がしなかったことをした。テレビカメラの前に座り、国民に向けて直接語りかけたのだ。

その2週間後、天皇・皇后両陛下は、東京から離れたスタジアムに設置された避難所を訪れた。

被災者たちは、床の上にわずかな所持品を積み重ねて生活していた。多くの人々は、福島第1原発の損壊によって出た放射線から避難していた。(略)

天皇・皇后両陛下は床に膝をつけて家族を一組ずつ訪ね、静かに話しかけ、質問をし、いたわった。

保守層にとってはショッキングな、天皇陛下の姿だった。天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫にあるべき振る舞いではなかった。しかし、それを上回る数の日本人が、天皇陛下の人間味あふれる感情表現に深く感動した。

「陛下には道徳的な権威がある」とテンプル大学東京校のジェフ・キングストン教授は話す。「陛下はその権威を自ら獲得した。最高慰問者(consoler in chief)だ。陛下は父親(昭和天皇)には決してできなかった方法で民衆と関係を築いている」。

「陛下の避難所訪問は、政治家が写真撮影のために訪問して手を振って立ち去るのとは違う。人々の隣に座り、一緒にお茶を飲み、戦前には考えられなかった風に会話をする」(後略)

別に「ショッキング」なんて思った人はいないですよねえ。

この後、ヘイズ特派員は、無知な西洋人にありがちな誤解と偏見に基づき、不愉快な勘違いをえんえんと書き連ねていますが、そこはカットしましょう。

このように、記事の内容には全面的に賛成しませんが、ただ、平成天皇が大衆に対するその振る舞いによって道徳的な権威を獲得したという見方は、日本のメディアでは見られないものであり、第三者ならではの鋭い指摘と言えると思います。



「君民直結」の時代にマッチした新たな天皇像のモデル

ちょうど私も今度の改元に際して「君民直結」の趣を感じていたんですね。

興味深いのは、この「君民直結」は、おそらく王朝の始まりというか、国の始まりの頃に見られた現象であると考えられること。

中国でいえば尭・舜といった聖王の時代。当然、人口は少ない。

なぜそれが1億以上もの人口を有する国で成立しているのか?

明らかに「メディア」のおかげです。とくにテレビとインターネット。

天皇皇后両陛下がニコニコとしてどこかの施設を慰問される。国民がその様子を“見る”ことができるのは、全国ネットで放映されるからです。「画面」という「窓」を通して目撃している私たちは、あたかも現場に居合わせている人間であるかのよう。

つまり、メディアを通した「君民直結」モデルといえる。

そして、その君主が、公務という形でナチュラルに「九経」を実践されていることが、日本社会に不思議な安定をもたらしているというのが私の仮説です。

しかし、そのきっかけを作ったのは、実は平成天皇ではない。

「陛下はその権威を自ら獲得した。最高慰問者(consoler in chief)だ。陛下は父親(昭和天皇)には決してできなかった方法で民衆と関係を築いている」。

このジェフ・キングストンの半分正しく、半分間違っている。

本当は「戦後」に昭和天皇が始めたことなんですね。

終戦直後などは暗殺される危険性もあったはずだが、それでも日が経つにつれ、自ら民衆の間に分け入り、積極的に語りかけていくようになった。

私はオッサンなので覚えていますが、昭和天皇が人々に話しかける姿には独特のトボけた感じがあった。「令和」で「巧言令色」という論語の言葉が注目されましたが、政治家がよくやる親しみやすさの演出とは違う。彼らのスマイルと話術は完璧でも、どこか演技くさい。昭和天皇のトークにはそういう巧妙さが無く、あのトボけた感じは、明らかに悪意や計算高さの無い、素の人柄から出て来るものでした。たぶん、市井にああいう人がいたら、周囲から「挙動不審の大人こども」というふうに笑われ、愛されただろう。

私に言わせれば「新たな天皇像」はここから始まったわけです。

昭和天皇はすでに事実上の立憲君主だったが、一方で全軍の大元帥という肩書きも背負っていた。無数の民・将兵を死なせたことに対して責任を痛感していたに違いない。だから戦後は信頼回復に必死だった。その遺志を平成天皇も引き継いだ。

今の「君民直結」の雰囲気を見るに、その努力は果たされたと思う。そして、同時に「これからあるべき天皇の姿」もまた形作られたのではないでしょうか。

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