人間は大きくは4つ、細かくは24のタイプに分かれる

宗教・精神世界・スピリチュアル
出典:Pixabay CC0 Public Domain




みなさん、こんにちは。

当サイトでは、これまで何度かサイババさんを取り上げています。

そのサイババさんですが、実は「カースト」というものを肯定している。

ただし、誤解のないように釘を刺しておくと、それは悪名高いインドの差別的社会システムを意味しているのではない。

カースト制度は、人を生まれで階層ごとに分けて身分を固定する悪しきインドの差別制度です。サイババさんがインドのカースト制度に言及する時には、あくまで「人類にはただ一つのカーストがあるだけだ」というふうに否定なさいます。

サイババさんのいう「カースト」とは、人間の持って生まれた性質のことです。その性質に基づいて各人が社会における役割を果たすことを「肯定」しているわけです。

サイババさんは次のように言います。

人のなすべき最善のことはなにか。各人はそれぞれ自分の属する社会の一員としての義務、仕事、役割を持つ。義務を行い、仕事に従事し、あたえられた役割を最善を尽くして行いなさい。それによって自分自身を充実させることができる。

身体は、手足、筋肉、神経、血管、細胞がそれぞれの義務を能率よく行うとき、健康に楽しく暮らすことができる。工場や社会もまた、労働者や社会のメンバーがそれぞれの義務をはたし、機能を十分に果たすときに、幸福であり健康である。

どんな人にも、社会における「役割」というものがあるんですね。

生産年齢期(15歳から65歳)にあっては「仕事」と言い換えることもできる。

ちなみに、現代日本人はいつしか経済的な基準のみで仕事の価値を計りがちになりましたが、ここでいう役割や仕事は、経済的価値に縛られるものではありません。



専業主婦(夫)は最重要の仕事に従事している人々

たとえば、私見では、家事と育児に専念する「専業主婦(又は主夫)」は、直接的にお金を稼ぐことには繋がりませんが、立派に社会的役割を果たす労働者であります。

そもそも、どんな哺乳類にとっても、子供を一人前に育て上げることは最重要の義務・使命であるため、本能的にしっかりとやります。

当然、人間にとっても、種の存続と社会の根幹に関わる神聖な仕事です。

とりわけ、子供が十歳に満たない間には、両親のどちらかが必ず家にいて、家事・育児に専念するのが望ましいのです。

つまり、専業者の存在は社会的に正解なのです。

この期間の共働きは元来不自然であり、避けねばなりません。どうしても必要なら、子供が学校へ行っている間にパートやアルバイトをすべきです。

ところが、今日では、子供が小さいのに共働きせざるをえない経済的状況と、またそうすべきだという価値観が日本社会を覆いつくしています。

家事育児に専念する女性、又それを成し遂げた女性を、もっとも重要な仕事に従事する誇り高き存在として尊敬することなく、経済的に無価値であるとして軽侮する間違った価値観は、まず欧米において広められ、その後、日本に輸入されたものです。

また、並行して、社会矛盾の拡大により、多くの世帯が「そうせざるをえない経済的状況」へと徐々に追い込まれてきた経緯もあります。

これらは、本当は、世界支配層によってプログラムとして推進されています。

ただし、これは、女性を、女性であるという理由で抑圧し、活躍の場を制限する封建的な価値観と社会構造を肯定するものではありません。この点は明確な間違いとして正されなければなりません。真の問題は、こういった社会的正義の悪用にあるのです。

裏目的を推進するために社会正義を掲げる集団に警戒せねばなりません。

人間社会にナチュラルに存在する4つのカースト

いずれにしても、経済的価値いかんに関わらず、人間には誰しも果たすべき役割があり、何らかの仕事があります。

そして、その社会における「役割」ということに関して、人間は大きく4つのグループに分類されるというふうに、サイババさんはおっしゃっているのです。

四つのカーストは普遍的であり、どの国にも見られる。

思想的指導者はバラモン、

武器を帯びる勇士はクシャトリア

商売に従事する者はヴァイシャ

忙しく働く者・労働者はシュドラ

かれらは神という身体の四肢にたとえられる。各四肢はそれぞれに割りあてられた仕事に従事しなければならない。あなたは頭では歩くことができないし、足で考えることはできない。それぞれの身体と身体の作用は協調して働く共同財産である。

こういった分類はどの国にも当てはまるという。

もっとも、表現が古過ぎて、誤解を招く面がありますね。

私なりに再構成してみると、

「バラモン」に分類されるのは「知識人系」の人々でしょう。

学問を尊び、真理の探究を好み、社会全体を見渡せるタイプ。

一般に学歴が高く、読書家であり、文書を扱うことに長けている。また、視野が広く問題意識が高いため、積極的に公論に参画し、世論の形成に携わる人々でもある。

人体においては「脳」に当たる人々なので、当然、社会において指導的役割を果たします。職業としては、政治家、官僚・上級公務員、学者、教師、宗教者、作家、ジャーナリストなどが多いでしょう。

職業ではないですが、ツイッター界では、言論の発信で物凄い数のフォロワーを獲得する人がいますが、そういう人も「バラモン」に分類されるでしょう。

次に「クシャトリア」ですが、そのまま「軍人」と見なすことができます。

ただ、一般に、戦いや肉体の行使、競争、冒険などを好む人々というふうに、広く解釈することが可能であるため、決して「戦士」に留まりません。

よって、警察官、消防士、武道家、スポーツ選手なども「クシャトリア」に分類される。

闘争を好むという点では、反社会的なアウトローも含まれると思います。

次に「ヴァイシャ」は「商売に従事する者」ということですが、「商売を好む人々」というふうに言い換えたほうがよいように思われます。

昔は農業に従事する人々が大半でしたが、今では多くが「会社勤め」になりました。しかし、こういった人々がそのまま「ヴァイシャ」であるかというと、疑問です。

民間企業の一員であるからといって、その人が根っからの商売好きとは限りません。

つまり、「ヴァイシャ」とはビジネスマンであり、もっといえば自営業気質の人々のことです。生まれつき商売が好きで、得意な人々こそ「ヴァイシャ」なのです。

最後の「シュドラ」ですが、単純に会社員・公務員・職人・労働者・農家というふうに割り切ることも可能ですが、私の考えでは「毎日コツコツと地道に働いて、平均的に暮らすことに何よりも心の安定と幸せを見出す人々」ではないかと思います。

自分の生き方として、そういう生き方が一番しっくりくると思うならば、その人は「シュドラ」です。人数的にはこのカーストの人々が一番多いはずです。

一方、その状況が単に強制されたものであり、心の底では独立して自分で何か商売を始めたいと願っている人ならば、属している階級は「ヴァイシャ」です。

以上、4つのカーストを説明してきましたが、誰もがどれかに属するはずです。

自分がどれに当てはまるかは「内なる声」に耳を澄ますとよいでしょう。

どうやら、この4つの分類は生まれつきのものらしい。

だから、自分のカーストにマッチしていると思う職業に就いて、それに尽力することが、当人的に「成功」の道に繋がるのではないでしょうか。

社会的存在としての人間は24通りある

ところで、この4のカーストというのは、いわば人の「大性質」です。

しかも、人間は大なり小なり、この4つの性質をすべて持ちます。

つまり、その「顕れ方」に、人それぞれ強弱がある、ということです。

逆にいえば、「どの性質が強く顕れるか」が、その人の個性になっている。それが、その人の持って生まれた性向ということです。

一番優位に顕れる性質だけを基準にすると、人間は単純に上の4タイプに分かれます。

また、1番目(主)と2番目(副)に優位に顕れる性質に着目すると、人間は次の12のタイプに分類されることになります。

 思想家・戦士タイプ

 思想家・商人タイプ

 思想家・労働者タイプ

 

 戦士・思想家タイプ

 戦士・商人タイプ

 戦士・労働者タイプ

 

 商人・思想家タイプ

 商人・戦士タイプ

 商人・労働者タイプ

 

 労働者・思想家タイプ

 労働者・戦士タイプ

 労働者・商人タイプ

一番細かく、4つとも順序づけると、人間は24のタイプに分かれることになります。

一般的に、4分類だと大雑把すぎるし、かといって24分類だと細かすぎて、自分がどれに当てはまるか、自分でも判断に迷う部分があります。

よって、12分類くらいがちょうどいいような気がします。

ちなみに、私個人は4つの性質がかなり均等に出ている珍しいタイプかもしれません。

ま、だから人生に迷ってばかりいるのかもしれませんが(笑)。

サイババさんによると、人間の多様性は、一つの神の多様な表現とのことです。

「神が人の姿をまとったもの」・・それが人間とのことです。よって、全宇宙のすべての人間は、一人の神様として尊重されなければなりません。

どのような人であれ、神の一部であり、神の化身なのであって、特定の人々だけが選ばれて残りは斬り捨てられるとか、消されるとか、そういうことはないのです。

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