みなさん、こんにちわ。
私は昨日、不覚にも日曜日の洗脳番組であるTBSの『サンデーモーニング』(2018.10.21放映)を見てしまい、おかげでネタを得た。内容は「ヨーロッパで移民排斥を掲げる極右勢力が台頭している。これでよいのか。困った、困った」というもの。
これはスウェーデンの例。
とまあ、EU各国でどこも極右政党が躍進しているというのだ。
それに対して、要するに、「移民受け入れに反対するものは猫も杓子も極右」という、相変わらずの分かりやすい善悪二元論的なレッテル貼りである。
番組ではその“極右政党”の台頭に危機感を滲ませているが、そもそも選挙の結果であり、民意の反映であるとは考えないらしい。
私は「自国民ファースト政党」と呼ぶべきだと思いますが、どうでしょうか、皆さん?
それを、ハイルヒトラー式の敬礼をするような、ごく少数の人物をVTRの中に挟むことで、さも邪悪な存在・風潮であるかのように印象操作する。
これはちょうど、自称リベラル派の中に性犯罪者が混じっている事実をピックアップして全体がそういう人間の集まりであるかのように印象付ける手法と同じです。
このVTRに対して、姜尚中(カンサンジュン)教授――前の髪型のほうがマシだったのになんでまたこんな変なパーマ頭に??――が例の落ち着いた低音ヴォイスでまた突っ込みどころ満載の発言をしていた。
要約すると、だいたいこんな感じである。
ドイツは全体が極右に染まっているじゃなくて、カウンター運動がものすごく強い。
だから、極右が出てきても、対抗運動が強い国と弱い国がある。
日本の場合は残念だが対抗運動が弱い国だ。
反グローバリズムは、難民移民に対して、分かりやすくスケープゴートを求めている。
根っこにあるのは、グローバリズムのひずみをどう治療するか、選択を示さないと、問題は根治されないのではないか。
今までのリベラリズムの限界、対抗運動をもっと強めてほしい。
たしかに、頷ける点もある。しかし、根本的にフェアではない。
第一に、日本だけを槍玉に挙げて、同じOECD諸国の韓国や、世界第二位の経済大国の中国を例に挙げないのはなぜなのか。
姜氏の国籍からすると、自分の国には言わないが他国には文句をつけている格好だ。
これはさも高邁な道徳基準を掲げて日本を裁くが、自国には同じ基準を決して適用しないという「韓国式人類普遍道徳」に基づく主張の典型ではないか。
第二に、本当に反グローバリズム(要は移民反対のデモしている人たち)は“スケープゴート”を求めてああいう反対運動をやっているのか、ということ。
姜氏の主張はただの決め付けというか、偏見ではないのか。
第三に、そもそも欧米が一定の受け入れをするのは本来当たり前ということ。つまり、カウンター運動が強いことがそんなに褒められたことなのか?
なぜなら以前にも書いたことがあるが、大量の難民や移民を輩出している国を見ると、過去又は現在に欧米が戦争を仕掛けたり、植民地支配をやったり、革命を扇動したりしてぶっ壊した国がほとんどだからである。つまり、元々の原因は欧米なのだ。
姜氏は、欧米では、極右の受け入れ反対派に対して、そのカウンターたる良識派もまた多いんですよと言いたいらしいが、果たして褒めるに値することだろうか。
元から責任のある欧米と、ない日本とを、同列に置くのは間違いである。
姜尚中氏にはもう少し「フェアネス」のマインドを持ってもらいたい。でないと、トンチンカンの姜、カン違いの姜である。
ところで、この番組のコメンテーターには、谷口真由美というオバさん――本人が自称――もいる。この人がまた空疎というか、実に偽善的なコメントをしていた。
今年は世界人権宣言から70年だ、
この問題に大人が本気で向き合わないと駄目だ、等などである。
もっとも、日本人拉致被害者の人権にはあまり興味がなさそうだが・・。
私はこういう偽善が好かぬ。だから何なのか、としか言いようがない。
たしかに、世界人権宣言は1948年に国連総会において採択された。
その内容は、いちいち挙げないが、素晴らしいし、美しい。
しかし、その国連の創設を主導した英米仏露と、後の人民中国も含めて、トップにある5大国が率先して人権を侵害し、武器をばら撒いてきたのではないのか。
国連の人権理事会も、ロシア、中国、サウジアラビア、その他、中東やアフリカの強権国家などが含まれていて、ほとんどジョークと化している。
口先で理念を掲げるのは簡単なのだ。行動が伴っていなければ何の意味もない。一般論だが、こういう国際社会の偽善に共鳴できるのは、同じ偽善的な人間だけではないかと思う。
ごちゃごちゃ理屈をこねていないで、姜氏と谷口氏がそれぞれ自宅に10人ずつ難民を受け入れてみせればいいのではないか? 少しは世間に対する説得力も増そう。
ところで、公平を期すと、ややまともなコメントもあった。
松原耕二氏はこんなことを言っていた。
寛容や耐用性といった理想を掲げるのはものすごく大事だが、やっぱり現実とのバランスを取らないと、逆に振り子がふれて、排外主義に陥ってしまうと思う。
ヨーロッパでも、移民について、決して美しい物語ばかりじゃない。最初はもう、誰もやりたがらない仕事をやらして、長く住んでいるから共存の道を探っている面もある。
賛オモニ、もとい、『サンモニ』の同調プレッシャー下では、たぶんこれで精一杯なのだろう。それでもただ理想論ばっかりの国連カルトのオバさんとは雲泥の差だ。
私自身はいずれ国境がなくなると信じているし、それが人類の理想だと思うが、一方で、そういう人類の融合は自然な形で徐々に進められるべきであって、一挙に何万、何十万もの外国人を政治力で移植するやり方は間違いであると確信する。それはちょうど体内に異物を取り込むようなもので、必ずや社会的な拒絶反応を引き起こすだろう。
近年、グローバル勢力に対抗する全欧米的なポピュリズムが台頭してきたのも、今まで政治力でそういう不自然なことを無理やり進めてきたからではないだろうか。
だから私自身は欧米の「自国民ファースト政党」の台頭と移民難民の締め出しは、極めて「自然」な社会の流れであるとしか思えないのである。
藤原かずえ女史の鋭すぎる『サンモニ』分析
ところで、アゴラに時々、藤原かずえさんという恐るべき女性が登場することをご存知だろうか。以前、この「風をよむ」コーナーがネット言論を「フェイク・ニュース」と決めつける放送をしたことに対して、藤原女史がこんなふうに斬り込んでいた。
(前略)このうち説明VTRは、自らの論調に有利な情報だけを並べる【チェリー・ピッキング cherry picking】という情報操作により、視聴者を一定の方向に誘導します。
現在の日本において大きく問題視されているのはネットのフェイク・ニュースではなく、テレビの報道番組やワイドショーが事実を捻じ曲げるフェイク・ニュース[例] [例]や、同様に事実の所在を捻じ曲げるテレビ・新聞の「報道しない自由」[例]です。
(略)番組の論調に有利な情報だけを並べた説明VTRで視聴者を一定の方向に誘導した後、番組はスタジオトークでその言説を確信に変えるという【心理操作 psychological manipulation】を行います。ヒーリング系の音楽が流れる中で、脱力&思考停止させられた視聴者がリラックスして油断しているうちに、コメンテーターの言葉を受け入れてしまうというパターンは、カルト宗教の手口とよく似ていると言えます。
風どころか世間の空気も読めないようなコメンテーターが、論理では論証できないような内容を【感情に訴える論証 appeal to emotion】でプロパガンダしているに過ぎません。
どうだろうか。
上の分析は今回の「難民拒否とEU」にもかなり当てはまるのではないだろうか。
(それにしても、浮気したら、この調子で責め立てられることを想像すれば、彼女と付き合う男性も大変であるが・・笑)
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